6代目山口組への復帰話が取り沙汰される絆會 トップ「織田代表」の姿勢が評価されている3つの理由とは?
指を詰めたうえで提案
客観的には、織田代表にはプラス評価が下されそうにないようにも見えるのだが、竹垣氏によれば、6代目側が「評価」するポイントは3つあるという。
その1として竹垣氏があげたのが、1990年に発生した「山波抗争」での働きだ。5代目山口組弘道会(当時の会長は司忍6代目山口組組長)と波谷組が、組員の引き抜きで揉めた末に抗争事件に発展したものだ。山口組系組員が誤ってカタギの男性を射殺するなど社会不安を招いたが、最終的には波谷組の組長が司会長に詫びを入れて騒動が終結するに至った。
「当時、5代目山口組傘下の倉本組にいた織田代表は、この抗争に参加して懲役12年の判決を受け、徳島刑務所で服役しました。抗争時、弘道会は司忍会長の時代でしたから、当然そのことは評価されていることでしょう」(同)
その2は、竹垣氏も所属した初代古川組の内紛に関する出来事である。
「古川組に所属する組員にAとBという兄弟がいました。弟のBが当時の入江秀雄若頭を射殺した際、後ろで実兄Aが糸を引いていたとされていたため、古川組はAを絶縁にしました。この時、Aと兄弟分だった織田代表は、指を詰めたうえで古川組長に“Aを戻してもらえないか”と提案したことがありました。その時はそれが受け入れられず“死に指”になったのですが、業界では男をあげたと評価されています」(同)
6代目側は評価
最後のその3は織田代表本人ではないが、側近中の側近でナンバー2の金澤茂樹(本名:金成行)絆會若頭に関連することだ。側近への高評価がプラスに働いているという見立てである。
「金澤若頭が率いていた組を引き継いだ組長が絆會を脱退し、6代目側に移籍する動きを見せた際、金澤若頭は何とか脱退を思いとどまらせようと説得を試みたものの果たせず、仕方なく発砲し重傷を負わせるという事件がありました。兄貴分が弟分をハジくというのは前代未聞のことです。しかし、何としてでも弟分を引き留めたいという必死の思いの表れとして、この発砲事件を6代目山口組側は評価しているということでした」(同)
いずれも一般社会では理解されづらいポイントばかりだが、業界内には別の論理や価値観があるということだろうか。最後に、織田代表の現在の心境を読み解いてもらおう。
「関ヶ原の戦いで東軍か西軍かで迷っていた小早川秀秋が、家康側からの発砲を機に腹を固めたというエピソードがありますね。今回の車両特攻には、それに近いものがあるのでは。6代目側からの“そろそろ立場を明らかにせよ”というメッセージに近いものを感じましたね」(同)
神戸山口組の中核だった5代目山健組を半分に割ってしまうほどのカリスマ性を持つ織田代表には、業界に根強くファンがいるという。
「6代目山口組が分裂して以降、織田代表自身が混乱の一因を作ってしまっているという面がある。元のサヤに戻り、できるだけ早く自身の能力生かしてほしいという声が内部にあるのは事実です」(同)
条件次第ではあるが、電撃移籍の可能性はそれなりに高そうだ。
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