6代目山口組が「絆會代表」をこのタイミングで狙った理由とは? トップの自宅がついに襲撃されて 

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和解交渉を暴露した過去

 この話が絆會とどうつながるのか。

「池田組は絆會とは友好関係にあるとされてきました。実際そういうアピールもありましたね。ということは、解散を契機に池田組から絆會に合流する組員が出てくる可能性がある。事情があって6代目側に戻れない池田組の者たちもいますから。そのあたりの経緯を見ると、今回の絆會トップの自宅襲撃は、6代目側が池田組と絆會の関係にくさびを打とうとしたようにも映りますね」(同)

 他方、今回の事件の「被害者」である織田代表は6代目側から処分を科されていないため、「その気になれば元サヤに収まるだろう」との見方もあった。

「もちろんその可能性はあり、そのことについてはまた別の機会に触れたいと思っています。その一方でもちろん、織田代表を快く思わない勢力がいるのも確かです。具体的には、6代目と神戸との間に和解話が持ち上がっていた時期の出来事が関係しています。この話合いを担ったのは、6代目側が若頭補佐の高木康男清水一家総長、神戸側が当時の織田若頭代行ということでした。結局、交渉は決裂したのですが、その後、内幕が表沙汰となるに至り、それを正す狙いもあって、織田代表はインタビューに答えました」(同)

 問題は、インタビューで率直に語り過ぎたことだった。織田代表の話は微に入り細を穿ったものだった。詳しすぎたのだ。

「真偽のほどはともかく赤裸々な告白でしたし、秘密の交渉事の中身を暴露してしまったことで、6代目側の神経を逆撫でしたことは間違い無いでしょう」(同)

井上組長を罵るように

 他方、任侠団体山口組を立ち上げる際に記者会見を行った際のことも織田代表への否定的な評価に繋がっている部分があるという。

「神戸山口組の井上邦雄組長について、口を極めて罵るような内容でした。自分たちの組織を正当化するために必要だったのでしょうが。織田代表は2002年に4代目健竜会(井上組長が会長を務めた)入りし、井上組長が4代目山健組を継承した後は同組で若頭補佐などを務め、山口組の分裂後も井上組長に付き従ってきた側近中の側近と言えます。そんな立場の人が公然と罵るほど井上組長の行状が酷かったかといえば、そういう見方は少なかった。むしろ会見で暴露するなどしたことへの違和感を口にする者が多かったですね」(同)

 という現状を踏まえれば、

「これまでもそうだったと思いますが、しばらくはおとなしくしておくことになるでしょう」(同)

 その「しばらくの籠城」はどれくらいの期間になるのだろうか。

デイリー新潮編集部

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