吉田輝星、聖地・甲子園でなぜいま先発? 中継ぎ専念に向けビッグボスの深い思惑

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「火の玉ストレート」と「美直球」

 吉田は昨季までのプロ3年間で1勝6敗、わずか10試合の登板とくすぶった。新庄剛監督を筆頭にチーム体制が一新された今季は、可能性以上に結果が求められる時期に差し掛かっていた。

 迎えた今春のキャンプ。新庄監督は、阪神時代の後輩である藤川球児氏に吉田の指導を依頼した。藤川氏はプロ入り後、先発として伸び悩み、6年目にリリーフ転向したことを契機に飛躍を遂げている。

「先発で球数を重ねると球威が落ちる上、藤川氏は球種が少なく、緩急もなかった。トレードで放出寸前のところから配置転換で球界を代表するクロ―ザーになった。その歩みを知る新庄監督は吉田を藤川氏に重ね、藤川氏もまた、監督の意図を察したのだと思う」(セ・リーグ元コーチ)

 藤川氏は阪神でスペシャルアシスタント(SA)の役職に就いている。交流戦で対戦相手となるチームの選手への指導は極めて異例と言える。藤川氏と新庄監督、双方の所属事務所が周辺に慎重に根回しした上で、実現にこぎ着けた。

 藤川氏の指導の直後、新庄監督が「すごかった、あの変わり様。びっくりした」と語るほどに吉田の直球は見違えた。

 4回3失点だったソフトバンクとの開幕3戦目の登板後、中継ぎに回ってからは水を得た魚だった。ペース配分の必要がなく、全球、全力投球できるポジション。140キロ後半の直球は打者の手元で伸び、次々と空振りやファウルを誘った。地面とほぼ平行の回転軸で「火の玉」と称された伝説の直球が代名詞だった藤川氏。その背中を追いかけた吉田のストレートは、いつしか「美直球」と呼ばれるようになった。藤川氏との出会いは運命的だった。

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