千鳥が東京進出で経験した受難の日々 なぜ人気に火が付くまで時間がかかったのか

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完成品だったゆえの苦労

 ここで千鳥の人気を加速させる原動力となったのが、同業者である芸人からの根強い支持である。独自のスタイルを持つ千鳥の漫才は、ビートたけしや爆笑問題などの先輩からも高く評価されていた。

 大悟はプライベートで志村けんと付き合いがあることも語っていた。また、妻子を持つ身でありながら、酒と女に溺れる昔ながらの芸人らしい一面もあり、たびたび写真週刊誌にも取り上げられている。先輩芸人にはそういう豪快な部分も愛されていたのかもしれない。大阪時代から千鳥の2人を慕う後輩芸人も数多く存在する。

 もともと大阪でレギュラー10本以上を持っているぐらいだから、千鳥はMC、ひな壇、ロケの何でもこなせるだけの器用さは持っている。いわば、千鳥は東京に来た時点ですでに完成品だった。だからこそ彼らは東京でゼロから始めて新しいポジションを見つけることができず、苦労を強いられたのだ。

 長い長い低迷期を過ごしてきた千鳥のこれまでのことを思うと、現在の八面六臂の活躍ぶりは感慨深いものがある。振り返ってみると、千鳥が東京のテレビに慣れる時間が必要だったのではなく、東京のテレビが千鳥に慣れる時間が必要だっただけなのかもしれない。

ラリー遠田
1979年、愛知県名古屋市生まれ。東京大学文学部卒業。テレビ番組制作会社勤務を経て、作家・ライター、お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など多岐にわたる活動を行っている。お笑いムック『コメ旬』(キネマ旬報社)の編集長を務めた。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり 〈ポスト平成〉のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)など著書多数。

デイリー新潮編集部

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