“余命わずかの不倫相手を看取りたい――” 夫の願いを知った妻が書いた「彼女宛の手紙」の中身
突然切り出された「別れ」
今から3年半ほど前、咲紀子さんから突然、別れ話を持ちかけられた。理由を聞いたが、彼女は何も言おうとしなかった。
「理由を聞くまでは絶対に別れない。僕はそう言って、3日にあげず彼女の元に通いました。合鍵も持っていましたが、勝手に開けて入ったことはありません。だけどある日、彼女から応答がないので部屋に入ったんです。彼女、倒れていました」
周りに吐いたあとがあった。彼はあわてて救急車を呼び病院に運んだ。そのときはすぐに帰宅できたが、何か様子がおかしい。本当のことを話してほしいと彼は懇願した。
「すると彼女は病気で余命宣告されたという。膵臓がんで転移もあり、手術はできない。化学療法はできるが拒絶した、と。1年はもたないけど、あなたに迷惑をかけたくないから、今のうちに別れておいたほうがいいって。さすがの彼女も、ほろりと一粒、涙をこぼしました。でも号泣はしなかった。代わりに僕が号泣しました」
そう言いながら憲司さんの目が、みるみる潤んでいった。
当時、それを聞いた憲司さんは、「オレがなんとかする」と断言。学生時代の友人に大学病院の医師がいたため相談し、詳しく検査してもらった。だが結果はすでに彼女から聞いていたものと同じだった。
「彼には僕と彼女の関係も話しました。彼女が天涯孤独の状況にあることも。彼は彼女が通いやすい個人病院を紹介してくれたんです。抗がん剤治療で希望をもてる状況になる可能性があることも説得してくれた。彼女は真剣に聞いていました」
それでも彼女の意志は変わらなかった。最後まで普通の生活をしたい。最後は痛みを緩和してもらって静かに人生を終えたいと言い張った。
「生きる気力をもってほしい、僕のために。離婚するよ、一緒になろう。そう言ったら、『私が結婚したいと思ってるって決めつけないで』とピシャリと言われた。病気と闘うつもりはない、そういう生き方もあると認められないのかとも言われて。悩みました」
家族を連れてコンサートへ
咲紀子さんの生き方は消極的自殺ではないのか。そんなふうにも思った。だが、それからも咲紀子さんに接するうち、彼の考えは少しずつ変わっていく。
「彼女、サックスを吹けるのも今のうちだと思ったんでしょうね。ジャズコンサートを開こうと音楽学校で人を集め始めたんです。僕がドラム、彼女がサックス、あとはピアノとベースの人が加わってコンボを編成、みんなで集まって練習するのは時間が合わずむずかしいので、まずは個人練習に明け暮れ、そこから集まって練習しました。編成してから2ヶ月後には学校内のスタジオでコンサートを開くことができた。彼女、よほど練習したんでしょう、すごくうまかった。僕がミスって怒られましたけど」
バンドを組んでコンサートをすることは妻にも話していた。もちろん、彼女との関係や彼女の病気のことはひた隠しにしていたが。妻は息子をともなってコンサートにも駆けつけてくれた。
「帰宅してから、サックスを吹いていた女性、かっこよかったわねと言われて、一瞬、返事につまりました。でも『彼女は学校のマドンナだから』と苦し紛れに答えたんです。のちのち、この返事が妻の心を刺激したとは、そのときは思いませんでしたが」
コンサートが終わると咲紀子さんは徐々に弱っていった。心配してくれていた友人医師も、主治医となった個人病院の医師も、やはり抗がん剤を進めてくる。それでも彼女は拒否しつづけた。
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