ラミレスが語る「400本のホームランの中で最も印象に残る一打」 藤川球児を得意としていた理由は?(小林信也)

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打球にバックスピン

「最初はドミニカのベースボール・アカデミー。全寮制だから、生活には困らなかった。普通はドミニカで3年過ごすけど、僕は翌年アメリカに呼ばれて、ルーキーリーグでプレーした」

 着実に昇格。23歳でメジャー・リーガーになった。が、外野守備が課題だった。

「いくら打っても、メジャーで長く試合に出続けるのは難しいと思った」

 そんな時、ヤクルトスワローズから声がかかった。家のローンを払うためにも、断る理由はなかった。来日1年目から29本塁打を打ち、人気者になった。ヤクルトの7年間でホームラン211本。打点王、ホームラン王、最多安打にも輝いた。

 しかし、「本当に打撃に目覚めたのは巨人に移籍してからだ」と言う。「ヤクルト時代は、ホームランを狙うには引っ張るしかなかった。神宮球場は風があるからライト・フェンスを越えるのは簡単じゃない。東京ドームは風がないから、きっちりボールを捉えればライトでもフェンスを越える。その安心感は大きかった。打つべきポイントで捉えることに専念できるようになった」

 話しながらスウィングの動作を見せてくれた。バットでボールを捉えた後、右手の甲をかぶせるように手首を返し、ボールの下にバットを潜り込ませて打球にバックスピンをかける。

「これが大切なバッティングの技術なんだ」

 手首をきっちり返せば、打球が上がる、そして飛ぶ。内角でも外角でもスタンドに入るようになった。

「ロードで打てなくても、東京ドームに帰れば打てると思うから、気が楽だった」

 巨人時代に打ったホームランは148本。うち91本を東京ドームで打っている。

「巨人では原監督がずっと信頼してくれた。最後まで打たせてくれたし、故障してもずっと使ってくれた。コーチにも恵まれた。打撃コーチの篠塚さんは、プチ・スランプで調子を崩すと、ビデオを見る機会や打撃練習の時間を作ってくれた。助言や命令はしなかった。それがありがたかった。僕自身が大事なことに気付くようにサポートしてくれた」

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