ラミレスが語る「400本のホームランの中で最も印象に残る一打」 藤川球児を得意としていた理由は?(小林信也)

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「僕の野球の原点は、子どものころにストリートでやっていたチャピータだ」

 アレックス・ラミレスが懐かしそうに言った。

「ビールの栓をボールの代わりに投げるんだ。すごく変化するから、ハンドアイコーディネーションを身に付けるには最高だね。バットはないから、箒の柄で打った」

 それがベネズエラの少年たちの草野球だった。6歳のころから近所の仲間と興じたチャピータで、ラミレスは自分の打撃の才に気付いた。誰よりも見事にビールの栓をかっ飛ばした。小学生になると、少年野球チームの監督が誘いに来た。

「でも貧しかったから会費が払えない。お母さんが『無料ならいい』と言うと、監督が会費を免除してくれた」

 それで正式に野球を始めることができた。ラミレスが神妙な顔で続けた。

「後でわかったけど、会費は監督がポケットマネーで払ってくれていた。監督のおかげでいまの僕がある」

 ラミレスは、野球こそ自分の生きる道、貧しい家計を助ける最善の方法だと確信するようになった。

「14歳の時、学校をやめて野球に集中すると決めた。お母さんは泣いたけど、迷いはなかった。ベネズエラでは、学校を出ても、いい仕事に就けなかったから」

 15歳の年、全国大会に勝ち進んだ。投手として出場し、2本のホームランを打った。すると、スタンドにいたクリーブランド・インディアンスのスカウトが降りて来て、監督に言った。

「投手はもうやめさせて、外野手に専念させてくれ」

 翌年、16歳でインディアンスと契約を交わした。

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