「Z」は日露戦争で「ロシアに対する勝利」の意味だった 「完全な勝利」から117年

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アルファベットの「Z」を示す国際信号旗

 直立して黙祷を捧げる人々。写真中央に立つ白い軍服姿の男性は、在日アメリカ海軍司令官、カール・ラティ少将である。その左隣には、海上自衛隊の横須賀地方総監、乾悦久(いぬいよしひさ)海将。5月27日、日米の指揮官が肩を並べて出席したのは、“ロシア軍に対する完全な勝利”を記念する集会だった──。

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 その海戦では20隻以上の軍艦を失ったロシアに対し、日本の被害は水雷艇3隻のみ。「史上類を見ない完全な勝利」と呼ばれるゆえんである。

 1905年5月27日。ロシア海軍のバルチック艦隊を、日本海軍の連合艦隊が対馬海峡で迎え撃った。日露戦争の勝敗を決する大一番、日本海海戦である。その時、旗艦「三笠」のマストに掲げられたのが、アルファベットの「Z」を示す国際信号旗。東郷平八郎司令長官はこの旗に、〈皇国の興廃この一戦にあり 各員一層、奮励努力せよ〉の意味を込めた──。

 海戦の結果は司馬遼太郎が『坂の上の雲』で描いたとおり、日本の一方的な大勝利。戦前は5月27日を「海軍記念日」として祝っていた。ここ最近は、Zという文字がウクライナに侵攻したロシア軍のシンボルになっている。だが従来、Zは“ロシアに対する勝利”の象徴だったのだ。

「まあ、ロシアにはロシアの論理があるのでしょう」

 その記念すべき日に、記念艦として横須賀港に保存されている三笠の艦内で、「日本海海戦117周年記念式典」が挙行された。昨年と一昨年はコロナ禍で中止されたため、3年ぶりの開催である。

 慣れない日本語でスピーチしたラティ在日米海軍司令官の他、オーストラリア海軍とインド海軍の幹部が出席。奇しくも、つい先日東京で首脳会議が行われた「クアッド」4カ国が集結した形だ。もちろん日露戦争時の日本の同盟国、イギリスの海軍将校も参列していた。

 招待客の中には東郷平八郎の曾孫、東郷宏重さん(62)の姿も。5年前にはサンクトペテルブルクでのロシア側の式典にも招かれ、バルチック艦隊の将兵の子孫らと交流したという。ウクライナ侵攻について話を振ると、「まあ、ロシアにはロシアの論理があるのでしょう」と少し寂しそうな表情で応じた。

 式典では、日露両軍の戦死者のため黙祷が捧げられた。ちなみに同海戦での戦死者は、日本側110名強に対しロシア側約4500名。そして117年後の今日も、戦争による流血は続いている。

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