46歳「高学歴風俗嬢」が苦しむ逆差別 ハードワークの日々で求める“癒し”と“夢”
3度の大学受験
由緒正しい東北地方の名家に生まれた紘子は、小学校1年生の時に両親が離婚。母に引き取られ、祖母、祖父に愛情をたっぷり注がれて育ったという。祖父母は優しいながらも日本舞踊、ピアノ、クラッシックバレエといった習い事を彼女にさせ、さらには「結婚するまで処女であれ」といいつけた。髪の毛を伸ばすことも、“女の色気を出すな”と禁じられたそうだ。だがそんな環境に紘子は反発した。
「17歳の時に、伝言ダイヤルで知らない男と3万円で『援助交際』をしたのが初体験です。結婚前に処女じゃなくなったら本当に死ぬのか試したかったんです。ずっとそう教えられて育ったので」
もちろん、セックスをしても死ななかった。稼いだ金は、家では禁止されている「お菓子やアイスなどをたくさんコンビニで買って」消えた。以来、地元で100人以上は「エンコー」したという。
高校卒業を機に上京。志望していた大学に落ちてしまい、浪人生活は東京で送ることとなった。一人暮らしの生活費は、実家からの仕送りのほか、こっそり再会していた父親がくれたという。それでも足りない分は喫茶店でバイトをした。翌年、こんどは第一志望の大学に合格。理系の一流大学だ。だが、紘子はすぐに退学してしまう。
「なんか、想像していたものが学べない。そう感じてしまったんです」
こんどは仮面浪人で、また別の大学を受験し合格。超有名私立大学である。学びたかった環境にようやく落ち着くことができた。だがここで大きな転機が訪れる。バイト先の喫茶店で知り合った4歳年上の同僚との間に子供ができ、結婚、出産したのである。
「生活はもう地獄でしかなかったですね。夫は結婚しても定職につかず、『俺はパチプロになる!』って言い始めて。生活費は無いし、子供は泣き叫ぶばかりだし。おまけに旦那のDVが凄くなって。子供を守るのに必死で。私自身はもう精神崩壊していました」
たまらなく児童相談所に避難した。だが相談員たちは口を揃えて「大学を辞めて育児に専念して」としか言わない。だが3度の受験を経て、ようやく入学した大学を諦めたくなかった。結局、子供は田舎にいる父が引き取り、育てることになったという(ちなみに旦那とは離婚したのちに再婚しまた離婚。結局、3回結婚、離婚したそうだ)。
多くはなかったものの、夫が稼ぐ分の生活費も失ったわけである。考えた挙句、向かったのは新宿だった。高校時代の援助交際の経験から、身体を売ることにはそれほど抵抗がなかった。はじめから“売る”仕事を求めていた。
「風俗求人誌の存在を知らなかったんです。そこまで頭が回らなかった。新宿に行けば何かしらの高給の仕事があるだろう、って。いま思い返すと夢遊病みたいな状態で、たまたま見つけたピンクサロンで働き始めました」
学校が終わると、遅番の17時から24時の閉店まで働いた。時給3500円で、1日で1万7000円の稼ぎになる。毎日、ひたすら生活費を稼ぐために働いたという。後に「もっと稼げるお店、紹介してあげるよ」とスカウトに誘われたのをきっかけに、吉原の大衆向けソープに移った。1日出勤すれば10万円は稼げ、ピンサロよりも遥かに稼ぎは良い。少しまとまったお金ができたタイミングで、吉原近くの物件に引っ越し、通勤時間を短縮した。
そしてようやく大学を卒業したが――紘子はソープを辞めなかった。
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