岡本公三 テルアビブ空港乱射50年 本人が手記で明かした「日本を出てから事件を起こすまで」

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Xデーの機内食

 30日の朝、岡本は奥平のトランクを開け、AK-47、弾倉4個、手榴弾2個を受け取った。

《自分の装備を点検し、弾を薬室に送り込み、セレクトレバーを安全装置にする。それから奥平同志と食事をする。「明日の今ごろは、桜島の上空だな」と、奥平同志に言われた言葉だけが記憶に残っている。水ブロで体を洗い、サッパリする》

 ローマ空港でエールフランスのB727に搭乗した。機内食をとりながら、岡本は切腹について考えていたという。

《「神風連」(註=明治維新の直後、熊本で起こった壮士の反乱)の生き残りが、切腹して自害する時、ある男は食うだけ食ってアッサリ腹を切った。ある男は、あとに汚物が散乱して見苦しいと何も食べなかった。人それぞれ哲学があり、何が優れているか、一概にいえない。われわれ三名は度胸を据えていたし、それぞれ自分の思いどおりに最後の食事をすますことができた》

 トイレに入った時は、日本海海戦の逸話を思い出したとも記している。

《戦闘を前にして、連合艦隊司令長官の東郷平八郎は、ボケッとしたまま旗艦三笠の甲板に立っていたという。心配した参謀総長が司令官のキンタマをそっと握ってみたらダラリとぶら下がったままだったそうである。そして、参謀総長は完全に満足して自分の持場に引き返したという。……その時の私のキンタマは、縮みこんでおり、ダラリとさせるには少々、苦労したものである》

見上げた星空

 座席に戻ると、安田が「長かったな」と声を掛けてきて、岡本は《ニヤリとした》という。

《飛行機が停止し、安全ベルトを外す。そして三人そろってタラップを降りる。バスに乗りこむまでに少々の時があった。その時、星空を見上げたことが記憶に残っている。そして今は、亡くなった人々が、天上の星として輝いてくれることを願うだけである》

 5月30日午後10時、岡本、奥平、安田の3人は、税関で荷物からAK-47と手榴弾を取り出した。そして約300人いたとされる到着客、空港係官などに向かって小銃を乱射し、手榴弾を投げた。

 手記で岡本は、銃撃戦については一切、書かなかった。記事の冒頭と末尾で触れられたのは、多くの宗教書、特に聖書を熱心に読んでいるということだった。

デイリー新潮編集部

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