岡本公三 テルアビブ空港乱射50年 本人が手記で明かした「日本を出てから事件を起こすまで」
岡本の涙と重信の寿司
5月に入り、岡本は《ロッド空港作戦》の話を聞かされた。
《ベイルートの待ち合わせの場所にPFLPの男がやってきた。私を含めて四人の同志と会った。そのPFLPの男の話では、作戦はどうしても三人でなければダメだという。この時、私の参加が正式に決定した。私は奥平同志と二人だけになった時、一時間ほど、涙を流させてもらった。ふん切りがつくと、あとは整理を自分なりにやるだけのことであり、感傷的なものに浸ることは許されない》
岡本、奥平、安田の3人は準備を開始した。そこに重信房子が“陣中見舞い”に来たという。
《奥平夫人の重信房子さんが、スシを作って持ってきてくれた。これが最後の日本料理になった。「オレたちがやったら、あんたも殺(や)られるぜ」と脅したら、重信房子さんは「ピストルの撃ち方ぐらい知ってるわよ」と居直ったことを覚えている。奥平同志は「それでも命中させる方法を知らないと役に立たない」といいたそうな顔をしていたけれども、面白い夫婦だと感じた》
岡本と奥平はベイルートから出国すると、ローマに向かった。鉄道でドイツに入ると、安田と合流した。全て計画通りの行動だった。
事件前日の夜
イタリアのミラノへ向かうため、スイス経由の特急に乗った。安田が「花札をやろう」と提案し、3人で始めたという。
《スイスの風景はすばらしい。その時、ふと思ったのは、スイスで革命戦争が起きるようになれば、世界革命もすぐそこまできていることになるだろう、と。しかし、物騒なことを簡単に思い浮かべる自分を見出して苦笑する》
ミラノから再びローマに入った。5月30日が“Xデー”。その前日にあたる29日の夜、岡本はイタリア人娼婦と関係を持った。《私は女を買うのは、この時が最初であった》と振り返っている。
手記では顛末が赤裸々に語られているが、女性の“接客態度”は相当にひどかったようだ。終わってからの部分だけを引用しよう。
《女に「ジャパニーズガール・イズ・グッド」と切り返すことでウップンを晴らす以外になかった。私の結論は、女を買うのは一回体験すれば十分で、また、その体験も必ずしも必要なものではあるまい。味気ない、費用のかかった時間を終え、トレビの泉に行ったように記憶している》
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