「慰安婦は売春婦の一種」発言で刑事訴追された韓国人教授の告白 「本質は悲惨な貧困」
被害者中心主義でいいか
もし、金柄憲・国史教科書研究所所長が書いた『赤い水曜日』が筆者の講義当時に出版されており、授業の教材にすることができていたなら、問題の事件は発生しなかったかもしれない。
なぜなら同書は、「反日種族主義」的に慰安婦問題に接近する既存の文献と判決を精密に追跡し批判しながらも、反日種族主義の本山である「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺対協あるいは正義記憶連帯)が出版した資料を核心的な根拠として使って議論を展開しているからだ。そのため、挺対協の「水曜集会」を支持する学生たちを説得するには効果的である可能性がある。
金柄憲はこの本を徹底的に証拠中心に書いている。彼の言葉通り、そうしてこそ「けがが少なくなる」からだ。執筆に活用された資料は逆説的にも、挺対協が1993年から2014年まで約20年間にわたってそれなりに力を入れて発刊した計8冊の慰安婦証言集だ。
挺対協が宣伝した慰安婦らの口述証言をもとに、いわゆる「被害者中心主義」を金科玉条としている学生たちは、この本に背を向けることはできない。
ちなみに、「被害者中心主義」とは、被害者の陳述さえあれば、他の証拠と交差検証する必要もなく、その陳述を中心に被害を認めなければならないという、異常な「荒唐無稽主義」である。
「民間の売春業者で働いた慰安婦」とみなすべき例
同時に、金柄憲は、植民地当時の公式文献と史料、特に軍慰安所を運営した日本軍文書はもちろん、米軍の記録、そして当時の新聞記事なども幅広く検討する。そして彼は、これら客観的史料を通じて明らかになる当時の慰安婦現象の実態に、立体的にアプローチする。そのような総合的判断の結果、次のような証言の場合は、「日本軍慰安婦」ではなく「民間の売春業者で働いた慰安婦」とみなすべきであるという。
(1)日本軍慰安所がない場所、すなわち日本、朝鮮、台湾、満洲で日本軍慰安婦生活をしたという証言(軍慰安所は戦線近くにだけ設置された)。
(2)日中戦争が発生する1937年以前から日本軍慰安婦生活をしていたという証言(軍慰安所は日中戦争後に設置された)。
(3)住民登録上、1930年以降に出生したか17歳以下の年齢で日本軍慰安婦生活をしたという証言(当局は当時の未成年者の軍慰安所就業を許可せず、これに関する文書管理を厳しく施行した)。
(4)同時に軍人と民間人を相手に日本軍慰安婦生活をしたという証言(日本軍慰安所は軍人専用だった)。
次ページ:「慰安婦生活者より一般売春店に従事した女性の方が多い」
[6/7ページ]