「慰安婦は売春婦の一種」発言で刑事訴追された韓国人教授の告白 「本質は悲惨な貧困」
当惑する学生たち
ここで、李承晩政府の役割についての議論にすぐに乗り出さないことが重要だ。まだ学生たちに心の準備ができていないからだ。代わりに次の質問に移る。
「では、皆さんは朴正煕も認めず、李承晩でもないというなら、結局、その前の段階である日本の植民地支配の時期に発展の種がまかれたと思うのですか?」
と問うと、学生の大半は「当惑」という反応一色になる。しかし筆者は質問を続ける。
「発展が天から落ちてきたのでなければ、発展の歴史的ルーツがなければならないのに、朴正煕でもなく李承晩でもないというなら、植民地支配の時期にならざるを得ないのではないでしょうか」
「まさか皆さんは、国を(日本に)渡した旧韓末(大韓帝国期=1897~1910)が韓国発展の起源だと思いますか?」
「旧韓末から35年間の植民地支配で搾取され、米軍政時代の3年間を経て、李承晩政権の12年の成果も否定するのなら、朴正煕政権の16年間に突然発展が実現したと言いたいのですか?」
「あれもこれも違うのならば、韓国の発展は根も葉もなく、突然現れた朴正煕という人物の『個人的カリスマ』のおかげだと見るべきでしょうか?」
学生たちは黙り込む。そうだ。これまで学生たちに教えられた現代史では、このような質問が全く投げかけられなかった。これらの質問にさらされて初めて、学生の脳には「植民地時代」と「李承晩政権」を再評価する必要があると考える空間が設けられる。
だからといって、ここで論争が終わるわけではない。論争は次の段階でさらに激化する。
収奪だけでない植民地
植民地支配の時期についても、大きな障害と向き合う。「植民支配の時期は収奪と近代化が共存する時期」という筆者の主張は、最初から学生たちの抵抗にぶつかるのだ。彼らは、「収奪」が当たり前で、「近代化」とは突拍子もないことだと一蹴する。
「西欧から学んで作った日本の近代システムが、私たちに強圧的に移植されるきっかけが植民地だった」
との筆者の説明は、「それでは日本に感謝すべきか」という学生たちの冷笑につながる。
「政治的には朝鮮が日本の植民地になって差別を受けたのは事実だが、同時に社会文化的には、朝鮮が自ら抜け出せなかった伝統社会のくびきを日本が取り除いたのではないか」
こう反問すると、学生たちは戸惑うこともある。しかしすぐさま「日本がそうしたのは、韓国のためではなく、日本のためにすぎない」という主張が出る。
「“日本のためだった”は正しいが、結果的に韓国の近代化に役立ったのではないか」
こうした筆者の問いは、「結果論」という非難を甘受しなければならない。
「学校や工場、監獄のように時間を管理する『監視と処罰』システムが他でもない近代だ」というフーコーの言葉を動員し、筆者は「日本が朝鮮を近代へ規律した」と説明する。他国の植民地経験と比較しながら、「植民地は全地球的に近代が広がる過程とも見られる」と付け加えもした。
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