「冬ソナ」から大きく変わった韓国「恋愛ドラマ」事情 「結婚じゃないハッピーエンド」を描いた3選
傷ついた2人が惹かれ合う先に…「天気がよければ会いにゆきます」
韓国の人気小説を原作にした「天気がよければ会いにゆきます」(アマゾンプライムビデオ等で配信中)は、「キム秘書はいったい、なぜ?」に出演し、日本にもファンの多い女優のパク・ミニョン(36)と、「坂口健太郎似の韓流スター」として知られるソ・ガンジュン(28)の共演作だ。
ソウルでの生活に疲れ、高校時代を過ごした田舎町に戻ってきた主人公へウォンと、高校時代から彼女を好きだったウンソプの再会を描くのだが、2人は時として地域における「異物」として扱われる存在でもある。へウォンの母親は夫を殺して服役した後に行方知れずになっており、養父母に育てられたウンソプはその生まれに複雑な事情がある。2人はあからさまな差別を受けているわけではないし、むしろ彼らの周囲はみな善良な人ばかりなのだが、ふとした瞬間に自分を含めた誰もが「きれいさっぱり忘れられない過去」の存在に気づいてしまう。
傷ついているがゆえにとげとげしく他者を拒絶するヘウォンと、根源的な孤独をかかえるがゆえに誰かとともに生きる幸せを恐れるウンソプ。2人はゆっくりと、こわごわと、距離を縮めてゆき、その恋によって息を吹き返してゆくのだが、視聴者はドラマを見ていくうちにこの物語に「結婚」といったハッピーエンドはありえようもないことに気づくだろう。というよりむしろ、ドラマは「この2人にとって、なぜ『結婚=ハッピーエンド』でないのか?」を描いているもののように思う。
その中心には「二十五、二十一」とはまったく正反対の、強烈な家父長制度がある。山里の雪景色とのどかな人間関係、ウンソプが営む古びた書店「グッドナイト書房」、ストーブの上で湯気を立てる薬缶、白い息を吐きながら互いの手を温め合う2人――そうした「ほっこり」とか「癒し」といった言葉で形容される美しい映像の裏に存在する“父”について、誰もが口をつぐんでいる。それゆえに視聴者は、家父長制に絡めとられる結婚という制度から解放された2人の関係に、ラストにはどこか「ホッ」とできるのだ。
心の葛藤をアニメーションで描く「ユミの細胞」の斬新さ
「梨泰院クラス」の「チャンガの長男」として悪役ぶりが話題となったアン・ボヒョン(34)と、「トッケビ」のヒロインで知られるキム・ゴウン(30)共演の「ユミの細胞たち」(アマゾンプライムで配信中)も、新しい恋愛ドラマのひとつと言えるかもしれない。
手ひどい失恋をして以来、恋愛から遠ざかっていたアラサーのOLユミと、会社の同僚の紹介で出会ったゲーム開発者ウンとの恋愛を描いた作品だ。ここ数年で最も斬新なドラマのひとつとも言っていいこの作品、その斬新さとは、作品のほぼ半分を占める主人公2人の心の中をアニメーションで描いていることだ。ドラマや映画などで、人物の「善意と悪意」が「天使と悪魔」になって登場し、その人の頭上で言い争いをしたりする場面があるが、あれの拡大版のような感じといえばいいだろうか。例えば2人が初めて会う場面。夏休みの小学生みたいなシャツとハーフパンツで現れたウンに、アニメーションで描かれるユミの心の中(=〈村〉)で、住民たちの会議が始まる。
〈理性〉や〈感情〉は「ありえない!」と言う一方で、〈ファッションセンス〉は「でもちょっとこだわり感じる」なんて言い、でも「ありえない。即帰るべし!」と結論が出るのだが、現実のウンから「ごはんでもどうですか? このあたりで1番おいしいチゲの店が」と提案されると、巨大化した〈食欲〉が「行く! 行く!」と村の住民全員を蹴散らし、ユミはウンとご飯を食べることになる。
心の中の欲望や感情がそれぞれ表情豊かなキャラクターとして、ドラマの中で描くと地味になりがちな「葛藤」を愛嬌と笑いたっぷりに演じているのだ。この設定がうまいのは、2人の選択にどんな葛藤があったかを、視聴者が全て知っていることである。2人の気持ちを分かりすぎるほどわかっている視聴者は、互いを思っているのにすれ違う2人が切なくてどうしようもなくなる。
そしてそうした葛藤の末に2人が選ぶラストもまたこのドラマの斬新さである。もちろん「結婚」ではない。長いこと韓国ドラマを見てきたが、こういうラストは初めて見た。男性も女性も、このラストを酒の肴に、一晩でも飲めそうである。話題作の「愛の不時着」も「梨泰院クラス」も「ヴィンチェンツォ」もそれなりの新しさを持った作品だったが、それらをまとめて過去にする作品だ。
新機軸、新感覚が、次々と登場する韓国ドラマ、驚くばかりのその進化に、まだまだ目が離せない。
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