デストラーデ、ホーナー…まさに救世主!途中入団で大活躍した助っ人3人の驚くべき成績

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「トラックの運転手だったらしい」との噂も

 5月も終わろうとしているのに、なかなか浮上のきっかけをつかめない阪神。4月の連敗中には新外国人の緊急補強を望む声も上がったが、現時点では、実現に至っていない。シーズン開幕後の助っ人獲得は、やはり“後手後手感”が否めず、阪神も2009年のクレイグ・ブラゼル以外は、ほとんど成功していない。その一方で、他球団では、シーズン途中の来日にもかかわらず、大活躍した助っ人も何人かいる。【久保田龍雄/ライター】

 主砲の助っ人2人が相次いで帰国した直後に入団し、一躍救世主になったのが、近鉄のリチャード・デービスである。

 1984年、近鉄はドン・マネー、リチャード・デュランの両主砲が、チームの本塁打数の約半分を占める活躍で、開幕ダッシュに成功した。ところが、5月に住居や球場施設など待遇面に不満を抱いたマネーが家族のホームシックを理由に電撃退団すると、デュランもマネーの後を追うように退団してしまう。

 急きょ2人の代役を探すことになった球団は、ブリュワーズ時代の79年に12本塁打を記録したデービスを獲得したが、急なオファーにもかかわらず、即OKしたことから、チーム内では「(入団前は)トラックの運転手だったらしい」の噂も流れたという。

「今日は必ず打って見せる」

 だが、元メジャーの実力はダテではなかった。6月6日の西武戦、4対4の6回に代打で来日初打席に立ったデービスは、左翼線安打で出塁すると、柳原隆弘のタイムリーで決勝のホームイン。チームの連敗を6で止める立役者になり、「モヤモヤしていたチームのムードが、あいつのお蔭で明るくなった」と岡本伊三美監督を喜ばせた。

 8月14日の日本ハム戦では、7打数無安打と苦手にしている左腕・間柴茂有が先発と知ると、岡本監督に「今日は必ず打って見せる」と予告。公約どおり、初回にバックスクリーン右への先制12号3ランを叩き込んだ。1打席ごとに反省点や相手投手の癖、勝負球をメモする研究熱心さの成果でもあった。

 同年は出場78試合で打率.310、18本塁打を記録し、見事にマネーの穴を埋めた。翌年にも打率.343、40本塁打の好成績を残したが、86年には死球に怒り、西武・東尾修を暴行する事件も起こしている。

 さらに、88年シーズン途中に大麻不法所持の疑いで逮捕され、6月27日に解雇された。主砲を失った近鉄は、中日の2軍でくすぶっていたラルフ・ブライアントを緊急トレードで獲得し、再びシーズン途中の助っ人補強で大成功を収めている。

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