「竜ちゃんがいなかったら有吉は辞めていた」 高田文夫氏が明かす“竜兵会”の絆

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“次は有吉だ”

 上島さんは朝7時まで飲み明かすこともあったそうで、

「酒量はかなり多かったですね。お気に入りは芋焼酎ロックで、朝まで飲むときは後輩が先に抜けて、残るのは肥後さんとほかに2人くらいのものでした」(同)

 ある芸能関係者が言う。

「竜兵会はいわば太田プロの芸人の親睦会のようなものです。吉本興業と違い、太田プロは先輩後輩のつながりが従来薄く、この会で強い結束が生まれました。基本は上島さんのなじみの居酒屋で飲むだけなのですが、上島さんが酔い潰れてしまいクダを巻いているところを後輩がツッコむというのが定番でした」

 有吉は96年、「進め!電波少年」(日本テレビ系)で、お笑いコンビの猿岩石として、香港からロンドンまでヒッチハイクで向かう企画に挑戦。大ブレークするも、あっという間にブームは去り、仕事がない状態だった。

「劇団ひとりが売れていた頃、上島さんは竜兵会で“次は有吉だ”“こいつは面白いから”と期待をかけていた。ただ、有吉さんは他の芸人さんの手前、そう言われるのが恥ずかしかったみたいで、“また言ってるよ”と笑っていました。有吉さんが猿岩石の歌をカラオケで歌ったりしたこともありましたね」(同)

「有吉が異常に面白かった」

 竜兵会に放送作家の高田文夫が参加したことも。その場で有吉を気に入り、ニッポン放送の自身の番組でリポーターとして起用する。いわば有吉に“浮上”のきっかけを与えた形だ。その高田に聞くと、

「俺が仕事もかねて竜兵会に遊びに行ったら、有吉が異常に面白いのよ。どんどん竜ちゃんをいじってツッコんでいく。それで“おもしれえなあお前! ラジオでリポーターやれよ”って。何本かやらせてみると、それをテレビの連中が“面白いじゃん、有吉”と。それで徐々に売れていったんだよね」

 有吉は07年、「アメトーーク!」(テレビ朝日系)に出演した際、品川庄司の品川祐に「おしゃべりクソ野郎」とあだ名を付ける。この独特なあだ名の命名スタイルがスタジオと茶の間を沸かせ、再ブレークを果たす。

「その後、番組ではきつい言葉で先輩の上島さんにツッコんだり、血相を変えて責め立てたりしますけども、有吉さんは上島さんに深い感謝の気持ちを持っていました。過去の番組でも、有吉さんが不遇の時代にサシで飲んでいると、上島さんが有吉さんに“何で売れないんだ”と言って、号泣してくれたという逸話を披露しています。有吉さんも“俺も上島さんのことが好きなんです”とつられて泣いてしまった、と」(芸能記者)

 高田も、

「売れない有吉を竜ちゃんが全部面倒みて、飯食わして、お小遣いあげてさ。すごい世話を焼いたわけ。竜ちゃんが有吉を卑屈にさせなかった。竜ちゃんがいなかったら、芸能界を辞めただろうね。有吉は心から感謝してるよ。毒舌だけど、本当は優しい。竜ちゃんのこと大好きだからさ」

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