「札束を抜き取る女」が波紋、ギャラ飲みはいかにして生まれたのか “発祥の地”の店主が語る知られざる歴史
ギャラ飲みはキャバ嬢の怠慢から生まれた!
話を聞いたのは、港区・六本木の一等地でBARを経営する青木氏(仮名、40歳)だ。店のほかに、アパレル会社を経営するなどの“昼の顔”を持つ。
「2016年くらいですかね。ギャラ飲みは、キャバ嬢のアフターのバックれから始まったんです。BARの常連さんから“誰か一緒に飲んでくれる子いないかな”と相談を受けることがたびたびあって。自分はもともと芸能プロダクションのスカウトマンをやっていたんで、女の子の知り合いも多かったんです。だから最初は知っている女の子に『今から店に来られない?』ってLINEを送っていました。でもあるときから面倒になって、一斉に送れるグループを作ったんですよ」
これが今日まで続くギャラ飲みグループのルーツである。ただし、
「最初は『ギャラ』飲みじゃなかったんです。あくまでも『タクシー代』『足代』って呼んでいました。それがいつの間にか『ギャラいくら?』って言われるようになって。場所柄、芸能関係者のお客さんが多かったので『ギャラ』と言うようになりました。僕としてもお金が出るときちんと説明したほうが女の子が集まりやすい。港区のキャバクラの最低時給が5000円だったことから『じゃ2時間1万円』っていうのが定着していったわけです」
やがてグループは膨れ上がり、青木氏の手に負えなくなっていく。
「グループがあっという間に500人になって。女の子が『これは美味しい!』って、友達をグループに招待、招待、って広まっていったんですね」
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