成長できる日本の中小企業をどう支援していくか――望月晴文(東京中小企業投資育成株式会社社長)【佐藤優の頂上対決】

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 日本の中小企業に投資を行い、長期安定株主となって、経営から後継者問題までさまざまな助言を行っている東京中小企業投資育成。同族会社が多く、必ずしも上場を目指さないなど、独特の企業風土がある中で、中小企業の原動力となるのは何なのか。そしてそれをどうサポートしているのか。

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佐藤 日本の全企業数の99.7%は中小企業だといわれています。東京中小企業投資育成は、その中小企業に特化して投資を行っていて、一般投資会社とはずいぶん性格が違うようですね。

望月 弊社は中小企業投資育成株式会社法に基づき、1963年に設立された公的機関です。中小企業の自己資本の充実と経営の安定化、企業成長を図るのが目的で、投資はしますが、経営に参画するわけではありません。あくまでその支援が目的です。

佐藤 そうすると出資比率は50%を超えることもない。

望月 最大で50%ですね。ただこれでは比率が高すぎるので、だいたい30%程度が適当だと考えています。

佐藤 投資先はいま、何社くらいあるのですか。

望月 約1100社です。累計ではその倍くらいの会社に投資してきました。

佐藤 この会社が設立された背景にはどんなことがあったのですか。

望月 それは第2次世界大戦後まもない時期まで遡ります。当時の日本の経済政策は、国が大企業にさまざまな資源と資金を計画的に流して生産性を上げる「傾斜生産方式」だったんですね。その力を鉄鋼や石炭に集中させ、循環的な増産によって重化学工業化を進めました。

佐藤 重点主義的生産政策ですね。

望月 ええ。ただ一方で、戦争で会社がなくなり雇ってくれるところがないため、戦後に小さな会社もたくさん生まれたんですよ。

佐藤 みな何かをして生きねばなりませんからね。

望月 その中で成功していったのは繊維産業や雑貨製造業でした。ただ一所懸命にやっても、大企業優先でしたし輸入制限もあった。だから、なかなか原材料がそちらまで回らず、中小企業は相当に不満を抱えていたんです。

佐藤 ただ中小企業庁は戦後まもなく設立されていますよね。

望月 1948年に設置されました。でも国の大方針は傾斜生産方式ですから、やれることが少ない。高度成長時代に入って大企業は成長していきますが、中小企業の多くは大企業の下請けに入ったり、過当競争によって資本の蓄積ができず、両者の格差はどんどん開いていったんです。

佐藤 その不均衡を正す政策が求められた。

望月 はい、そこで1963年に中小企業基本法ができました。その柱は大きく二つあります。一つは中小企業が過当競争になっているので、みんなが一緒に頑張れるよう、独占禁止法の例外として、中小企業カルテルを認めた。だからその後、協同組合、工業組合がたくさん誕生しました。これを集団化政策、もしくは組織化政策と呼んでいます。

佐藤 価格協定を結んでもよくなりました。

望月 もう一つは、近代化政策です。会社が小さすぎて、いくら頑張っても成長できない。そこで中小企業近代化促進法という法律を作った。さらに近代化には技術開発や設備投資が不可欠ですから、融資や補助金の制度も整備し、弊社の根拠法となっている中小企業投資育成株式会社法ができました。

佐藤 どれも1963年なんですね。

望月 基本となる法律とそれを実現する手段としての法律を同年にそろえて施行したんです。

佐藤 中小企業投資育成は、東京だけではありませんね。

望月 法律には三つ作るとあって、大阪、名古屋に兄弟会社があります。いま3社合わせて、約2800社に出資しています。

佐藤 これは日本独自の仕組みなのですか。

望月 政府が中小企業政策を検討している時、アメリカでSBIA(Small Business Investment Act)法ができます。これも政府が出資して中小企業を支える仕組みで、通商産業省(当時)の若手が訳して参考にしたようです。ただこのアメリカの法律は、結局のところベンチャー支援なんです。日本は、小さい会社はたくさんあるけれども、当時はベンチャーという感じではない。大企業にくっついてモノを売ったり、注文を受けたりしている。だからそれを支える仕組みを私どもの先輩たちが独自に工夫して作っていきました。

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