離婚を切り出した妻の“30年分の愚痴”に58歳夫の言い分 冷蔵庫の食材を捨てる姿にムッとして何が悪い?
昭和と今とでは「価値観」が違う。昭和の高度成長期に子ども時代を過ごし、就職したときはバブル全盛期。そんな男たちの中には、無意識のうちに「男は外で稼ぎ、女は家事育児と分担したほうがすべてがうまくいく」と思い込んでいる人が少なからずいる。「意識がアップデートされていない」とよく言われるが、実際には分業がうまくいくケースもあるだろう。分業しているかどうかが問題なのではなく、その裏にある「家事育児にいそしむ妻を下に見ているかどうか」が重要なのではないだろうか。【亀山早苗/フリーライター】
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都内在住の岩井圭太さん(58歳・仮名=以下同)は、今、妻から離婚を迫られている。1年前、初めて離婚をちらつかされたとき、この年になってそんなめんどうなことはしたくないと聞く耳を持たなかった。だが妻は執拗だった。
「いったい何が原因で離婚なんて言い出したのか。理由を聞かせてほしいと言ったんです。そうしたら出てくる出てくる。結婚当初からのさまざまな不満を妻はぶちまけ始めました。コロナ禍で家にいる時間が長かったせいもあり、聞くしかありませんでした」
圭太さんが就職したのは1987年。バブル全盛一歩手前の時期だ。内定が出ると企業から研修と称した囲い込みがあるような時代だった。彼も、当時人気の大企業に就職が決まり、すぐに沖縄旅行が与えられた。他社に就職活動をさせないためだ。
「僕なんかそんなに優秀な学生でもなかったんですが、売り手市場だったんでしょうね。就職してからもボーナスは高かったし、先輩たちは毎日、朝まで遊んで仕事に来るし。よく働き、よく遊びました。なんだか世の中が狂乱している感じでした」
結婚したのは28歳のとき。バブル崩壊直後だったが、実際にはまだそれほど「不況」を実感していなかった。友人との飲み会で知り合った同い年の女性と2年つきあってのゴールイン。これも当時としてはごく普通だ。どうしても結婚したい、家庭を作りたいという気持ちが強いわけではなかったが、周りもそろそろ結婚しているし、職場でも「結婚したほうが信頼される」という暗黙の了解があった。
家事育児、家計も妻まかせ
30歳で長男を、32歳で長女をもうけた。妻は長男を出産する時に退職した。これも当時としては多かった選択だ。
「イクメンとか男も家事をやろうなんていうことはまったく言われていない時代でした。職場に女性は増えていたけど、まだ結婚か仕事かどちらかを選択しなければいけないような雰囲気はありましたね。そこから徐々に変わっていって、今は両立が当たり前になってきた。それはいいことだと思います。だけど僕の時代はそうではなかった」
家事も育児も妻に任せきりだった。ただ、夏休みには必ず会社の保養所を予約して子どもたちを旅行に連れていった。授業参観には行ったことがないが、運動会には参加した。子どもが習い事をしたいといえば反対はしなかった。
「あのころ、私がもっと子どもたちと話をしてよと言ったのを覚えてる?」
妻はそう言ったと圭太さんは言う。だが彼は何も覚えていなかった。子どもと話し、習い事の月謝と折り合いがつけばやらせればいいだろうと言ったような記憶はある。そう、彼は家計も妻に委ねていた。
「給料が振り込まれる銀行のカードは妻がもっていました。僕は毎月、小遣いをもらうだけ。残業代の一部を内緒で僕自身の口座に振り込んでもらって、なんとかしのいでいましたね。ボーナスの一部も別口座に入れてもらっていたから、社内外のつきあいもこなせた。家計は妻にやらせていたわけではなくて、実質、家の財務大臣は妻であると認めていたんです。それも“昭和だ”と言われればそれまでだけど、少ない生活費を渡してこれでやりくりしろというよりずっとましでしょ。家計から妻が友だちと遊びに行こうが貯金しようが、それは妻の自由だと思ってやってきました。口うるさく言ったことはなかったはず」
それでも長女が小学校に上がると、妻は近所にパートに出るようになった。それも「家事育児に響かない範囲で」と言われたことに妻は不満をもったようだ。だが、パート給与を抑えたほうが税制上、得だったから妻は1日数時間の勤務にとどめていた。
「本当はもっとバリバリ働きたかったと妻は言う。でもそれならそう言えばよかったのにと僕は言う。『あなたは仕事ばかりしていて、そういう話し合いもできなかった』って。そんな昔のことを持ち出して、妻は何を言いたいのか僕にはさっぱりわかりませんでした」
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