視力0.6のイチローが球を打てる理由とは? 「ボールの右側を見る」発言の真意(小林信也)
ボールの右側を見る
天才打者イチローがプロ入り3年目に覚醒したころ、私は漫画アクションで「クラッシュ! 正宗」というマンガの原作を担当していた。主人公はヤクルトの破天荒なリリーフ・エース彩木正宗。1アウト100万円の契約で登板する完全出来高払いの抑え投手だ。95年の日本シリーズは、願ってもないヤクルトとオリックスの対戦となった。当然、正宗対イチローの対決がマンガの呼び物になった。私は東京ドームの中にあったプロ野球データシステムの記録を徹底的に参照して、イチローの打撃傾向を把握した。正宗がイチローを抑える手がかりをリアルに探ったのだ。結果、最も興味深かったのはイチローの言葉だった。ある雑誌のインタビューにこんな発言があった。
「打撃の調子を落としたら、ボールの右側を見る」
ボールのどこを見るか? という質問に、このように答える打者をイチロー以外に知らない。実際にまねてみると、左打者がボールの右側を見ると自然に脇が締まり、身体の芯もキリッと目覚める感じがする。逆にボールの左側を見ると脇が開き、身体が緩んでしまう。この感覚を知って、イチローは外から見える動きでなく、身体の内部の変化を手がかりに打撃を構築しているのではないかと感じた。
長嶋茂雄も現役時代、「打てると思うと本当に打ててしまうのだ」と語っている。人を食った言葉にも聞こえるが、球が投手の手を離れた直後のある瞬間に、打者が「打てる」と感じる。それこそが「ボールを捉える感覚」かもしれない。
大谷翔平にもそれがある。右足を地面に着けたまま構える。その右足の踵がスッと翻る瞬間がある。あの時、大谷は「打てる」と感じ、ボールをもう捉えているのではないか。
イチローはなぜ打てるのか具体的にほとんど語らない。だから推測するしかないのだが、目に見えない内部にこそ秘密がある、そんな仮説で打撃を見るのも楽しいと思う。
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