壮絶「ハルキウ攻防戦」のその後 日本人カメラマンが見た「今も怯える市民」と「驚愕した夜の風景」
一時は陥落の危機にあった
市街地から2~3キロ離れたあたりまで進んでみると、一般市民が利用する会社や市場、スーパー、学校、団地などは、散々たる有様であった。最初は砲撃や空襲を受けたのかと思ったが、近くでよく確かめると、被災した建物のいくつかの壁には、横方向に銃弾や破片が当たった跡があった。地上からの攻撃を受けていたのだ。とりわけ学校には、はっきりその痕跡が残されていた。こんなところにまでロシア軍の地上部隊が侵入していたのである。
たまたま近くにいた男性住民(18)に話を聞いて驚いた。
「このあたりはロシア軍が占拠していて、ウクライナ軍と戦闘になった。ウクライナ軍が戦車を使って追い出した」
他にも、ロシア兵を見たとか、3月にスーパーに立てこもった、団地にロシアのスパイがいたという噂のような話まで聞いた。
知人のウクライナ軍人にその話をしたら、こう答えた。
「開戦当初、ロシア軍は市街地へ侵入し、スペースと屋根がある建物を占拠して、そこを拠点とした。陽が出たら街へ繰り出し侵攻作戦を続行、夜になったら寝床の学校やスーパーに戻る。建物の中にいれば、空からのドローンでの監視に見つかることもないからだ」
ロシア軍が入ろうとした団地には、今も地下室に避難している住民がいる。街のあちこちで小規模ながらも市街戦があったのだ。3月のハルキウ市は、陥落一歩手前の危機に直面していたと言えよう。第二次世界大戦でドイツ軍の侵攻をソ連軍が食い止めた“ハリコフ攻防戦”のような激戦が、80年の月日を経て再び起きたのである。
空襲警報に慣れてしまった市民たち
ドコーン、ドコーンと響く音。取材をしていると、だいたい1時間に1回、多い時は数回くらい聞こえてくる。ハルキウは重工業系の工場が多いから、最初は何かを作っているのだろうか、戦争特需か、などと呑気に思ってしまったが、音が聞こえた瞬間、真顔になる市民を見て、ロシア軍からの砲撃だとわかった。
リヴィウやキーウでは、4月後半あたりから空襲警報が鳴っても気にせず無視する人が目立つようになっていた。ハルキウでも空襲警報には同様の反応だ。だが、砲撃の音だけは気にする。遠くから空の上を飛んでくる航空機や巡行ミサイルとは違い、陣地からの砲撃やロケット弾による攻撃は、ウクライナ側のレーダーが探知しづらく、もし探知できたとしても、すでに遅い。
砲撃やロケット攻撃された時に聞こえるのは、着弾し爆発した音だけである。ドコーンとだけ聞こえ、爆発の煙はほとんど出ない。上空にあがる煙が見えれば、着弾地の方角や距離など、ある程度見極められるのだが、それがここではあまりない。音だけだと、どのあたりを狙っているのか判らず、何か気味が悪いものだ。ただ、日に日にその砲撃の着弾音が東に遠のき、やはりロシア軍の前線が後退しているのが判かってきた。
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