壮絶「ハルキウ攻防戦」のその後 日本人カメラマンが見た「今も怯える市民」と「驚愕した夜の風景」
2月に始まったウクライナ侵攻で激戦区となったウクライナ第二の都市・ハルキウ(旧・ハリコフ)。一時は陥落寸前とも伝えられたが、ウクライナ軍はロシア軍を撃退した。ウクライナ入りしている戦場カメラマンの石井暁氏が、ロシア軍が去った後の街の様子をレポートする。
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【写真】ロシア軍が破壊して去った後のハリキウ市内。市場、病院、学校、あらゆるところに弾丸や砲撃の爪痕があった
ハルキウ駅は大混雑
ハルキウ市に入ったのは、5月4日のことである。首都・キーウ(旧・キエフ)から夜行列車に乗り、着いたのが朝方。玄関口であるハルキウ駅は、通勤客、これから避難する人、避難から戻ってくる人でごった返していた。
開戦から2か月以上、ウクライナ各地ではすでに侵攻の停滞感が目立つようになり、先に訪れたキーウや西部の都市・リヴィウでは、街に人が出はじめ、飲食店も再開していた。駅の喧騒を見て、ハルキウも安全になったのかと思ったが、それは大きな間違いであった。
ウクライナに来てから重用しているのがタクシーアプリだ。日本では一度も使ったことがなかったが、取材に便利で、ハルキウでも早速利用。まずは駅から1キロほどの市の中心街に行ってみたが、打って変わって人気(ひとけ)がないゴーストタウンが広がっていた。
ウクライナ国軍兵士に囲まれた
行き交う車はあるが、歩いている人はごくわずか。目抜き通りの建物は、ところどころ空爆や砲撃で破壊され、入り口や窓にはベニヤ板が張られまくっている。様子を撮影しようとビデオカメラを構えた瞬間のことであった。
「おい! 何やってんだ!」(言葉はわからなかったが、そう聞こえた)
と、怒鳴る声が聞こえた。どこに隠れていたのか、ビルから完全装備の兵士数人が現れ、あっという間に囲まれてしまった。ユニフォームと装備でウクライナ国軍であることはすぐに判った。慌てて「日本から来た報道関係者です」と伝えると、すぐに兵士の態度が軟化した。ウクライナ人には親日家が多い。だが、「絶対にこの通りを撮るなよ」と強く言われた。なぜ街の風景を撮るだけなのに警戒するんだ、とその時は不思議に思ったが、やがて理由がわかった。
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