刃渡り12センチの「工作用クリ小刀」で4人も殺害できるのか【袴田事件と世界一の姉】
1966(昭和41)年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社「こがね味噌」の橋本藤雄専務一家4人を殺害した強盗殺人罪で死刑が確定し、囚われの身だった袴田巖さん(86)が静岡地裁の再審開始決定とともに自由の身になったのは、2014年3月のことだった。現在は浜松市内で姉のひで子さんと共に暮らす。連載「袴田事件と世界一の姉」の16回目は、凶器とされたクリ小刀について見ていく。【粟野仁雄/ジャーナリスト】
【写真と表】〈うそぶく袴田〉の見出しが載る事件当時の新聞と袴田事件がよく分かる年表など
袴田事件が題材の映画
袴田事件を題材にした映画としては、高橋伴明監督の『BOX 袴田事件 命とは』(2010年)がよく知られるが、物語の主役は袴田巖さんというより、一審の静岡地裁でただ一人、無罪を主張した熊本典道裁判官(2020年死去)だった。新井浩文(43)が巖さんを、萩原聖人(50)が熊本裁判官を演じた。
ドキュメンタリー映画としては金聖雄監督の『夢の間の世の中』(2016年)、『獄友』(2018年)がある。2014年3月の釈放後の巌さんの日常や、東京拘置所などで一緒だった布川事件の桜井昌司さん、杉山卓男さん、足利事件の菅家利和さん、狭山事件の石川一雄さんら、冤罪被害者との交流を金監督が丹念に撮影した記録が中心だ。
このたび、新たに巖さんのドキュメンタリー映画を製作するという女性が現れた。ドキュメンタリー映画監督の笠井千晶さん(47)である。笠井さんは静岡放送(SBS)の記者時代から、まだ東京拘置所に収監中だった巖さんに姉のひで子さんが面会に行く様子や、ひで子さんの思いなどを記録してきた。映画監督として独立してからは、福島第一原発事故の被災者らを密着取材したドキュメンタリー映画『Life 生きてゆく』で2018年の「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」を受賞するなど、優れた映画監督である。笠井さんは「映画に興味を持ってもらいたいので、撮影現場なども公開したい」と話しているという。映画のタイトルは、プロボクサーだった巖さんにちなんで『拳(けん)と祈り』を予定しているとか。
ひで子さんは「巖が釈放された時に、彼女しか撮影できていない場面もあるそうです。見守り隊として月に2度くらい巖のパトロールの御供もしてくれています。笠井さんはSBSにいらした時もいい番組を作ってくれて、どんな映画になるのか楽しみですよ」と喜んでいる。大いに期待したい。制作資金の一部に充てるクラウドファンディングは6月13日まで受け付けている。
現場で発見されたクリ小刀
さて、殺人事件で最も重要な「証拠」は、言うまでもなく凶器である。今回は袴田事件の凶器について、当時の報道などを振り返りつつ見ていきたい。
まずは静岡新聞1966年7月7日の朝刊。
〈被害者宅のものでない 清水市の強盗殺人放火 現場にあった小刀
【清水】清水市横砂の会社重役一家四人強盗殺人放火事件の特捜本部は、六日も捜査員八十人を動員従業員や付近一帯の聞き込みを行なった。(中略)
(2)現場から発見されたクリ小刀と木製のサヤは、橋本さん方の物ではない。クリ小刀は焼け、顕微鏡でも銘はわからない。鋼質、木質、形状を分析し、メーカーの発見につとめる。
(3)事件発生前の夜九時ごろ、近所の主婦が橋本さん方に卵を買いに行き、ちえ子さんに会ったが別に変わったようすはなく、テレビがかけられていた。その後、間もなく同宅前を通ったときは、シャッターはしまっていたという。現場から発見された雨ガッパについては、こげたあとが下になっていたところから、移動したのではないかと見られている。この点から犯行のさいに着ていたものと推定される。今後はみつかったクリ小刀とサヤが合致するかどうかを調べることになっている。(中略)この雨ガッパからは血液は出ていないが、ポケットに凶器の白サヤがはいっていたため、犯人が着ていた公算が大きく、同本部は事件前、このカッパが置いてあった従業員寮を四日強制捜査している。〉
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