「秋篠宮家はまったく関係ない」 秋篠宮さまが初めて告白した「小室問題」の全容
警備費用も俎上に
ところが、
〈突然、秋篠宮は、ボソッとつぶやくようにこう言った。「どうするのだろうと思って……」その瞬間、私はカミナリに打たれたような衝撃を覚えた。(中略)小室の海外留学は、将来におけるものではなく、今すぐに実現しようとしているのだ。「一八年夏にも」と秋篠宮は続けた〉
〈海外留学するのなら、婚約内定期間はさらに長引くだろう。秋篠宮は小室親子の警備費用のことも懸念しているようだった。婚約内定が発表されて以降、警察は小室親子の自宅を厳重にガードしていた。もちろん原資は、国民の税金である。彼は小室圭に、警備のありようについても検討するよう伝えたという。しかし、小室の反応は鈍かった〉
〈秋篠宮の要望に何ら対応せず、海外に留学してしまう小室の突飛な行動に驚いた。「レットイットビーですね」私は、思わず口にしていた。(中略)秋篠宮は私の言葉には反応せず、冷めた表情を浮かべていた〉
放任主義教育の帰結
21年4月には、小室さんがA4・28枚からなる「小室文書」を公表。が、金銭トラブルでは、双方の認識の間に大きな“乖離”があることが判明した。
江森氏本人が振り返る。
「小室さんは19年1月にも『金銭トラブルは解決済みだと理解してきた』とする1枚の文書を公表しています。私はその直後、秋篠宮さまとお会いして『眞子さまのお気持ちは変わりませんか』と尋ねたのですが、浮かぬ表情でじっと黙っておられた。そして、昨年春の小室文書についても『なぜこういうものが出てくるのでしょうか。多くの国民が、あれを読んですぐに納得できるはずもありません』という趣旨の発言をされていました。落胆が、はっきりとうかがえたのです」
一方で、「文書」の作成に大きく関与した眞子さんのお振る舞いには、疑問を呈されることはなかったという。
「複雑性PTSDというご症状もあり、秋篠宮さまとしても踏み込んでお話ができなかったのでしょう。ただ、このトラブルの最中、父娘の間で満足なコミュニケーションがとれていないことは、秋篠宮さまからたびたび伺っていました」(同)
眞子さんの意思を尊重し、その姿勢を貫かれた秋篠宮さま。反面、“放任主義教育の帰結”とはいえ、皇嗣というお立場で皇室の儀式を経ずに長女を送り出された事実は痛恨の極みだったに違いない。
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