戦後、徴用工の未払い賃金を回収した「朝連」 労働者に返還されず政治資金に転用?

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「後は全て朝連に任せろ」

 非常に細かく規定してある。「調査集計」の内訳には「酒肴料」「帰国に対する手当」という項目もあったが、ここに列挙した要求に応じたものだと考えられる。

 そして「附記」として、

「死亡者、行方不明者及び既帰国者に対する支払いは在日本朝鮮人聯盟中央総本部に委託し、各人の本籍地、遺家族又は本人に伝達することを一任すること」

 とある。つまりは、後は全て朝連に任せろ、ということだ。

 この雛形に基づき全国の支部が活動を繰り広げた結果、

「件数 三四〇件

 関係人員数 四万三三一四名 

 解決金額 二六八七万六八四四円」

 を回収したことも報告されている。これは労働省の「調査集計」とも田駿の著作とも一致しないが、当事者の記録であるから、この時点の数字としては信頼に足るものであろう。ちなみに日銀の企業物価指数で現在の金額に換算すると、約800倍の215億円以上になる。

釜石製鉄所の対応

 こうした朝連の回収作業を記す事業所側の資料がある。旧日本製鉄釜石製鉄所の業務部労務課長を務めていた林泰の回顧録である。

 朝鮮人労務者の送還を担当していた林は当時をこう振り返る。

「戦時中に朝鮮人を徴用していて……その労務者と家族、この人たち八百人位いたんだけど、終戦と同時に、一夜にして戦勝国民のように威張りだした。(略)その頃、所内は朝鮮人からの要望、対応に大変な騒ぎです。彼らは、朝鮮人連盟という組織を各県ごとに結成して、岩手では盛岡に県支部があって、県庁内をわがもの顔にのし歩き、食糧事情が極端に悪いとき、白米はもちろんのこと酒などの食糧をはじめ、ガソリンの特配を受けるなど、ずいぶん威張っていたんじゃないですか」(『林泰回顧談』私家版)

 そこへ朝連盛岡支部の本部長、外交部長が訪ねてきて、こう要求したのだという。

「日本はわれわれが嫌がるのを徴用し、連行して強制労働をさせた。そのうち故国に帰ろうと逃亡した仲間がずいぶんいた筈だ。この逃亡前まで働いた分の未払い賃金があるだろう。それを調査の上、われわれに全額払って貰いたい。さらに公傷者に関することだが、指一本のケガに千円、腕一本一万円、死亡五万円。名前と補償金額を計算してわれわれに差出せ」(同)

 金額は違うが、朝連の雛形に沿った要求である。そして彼らはこうも言ったという。

「いずれ、県本部は領事館になる筈であり、われわれがそれまでこの全額を受取り、保管する」(同)

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