亡き妻に合わせる顔がない… 41歳男性が陥った“許されざる”不倫関係の核心部分
「彰子さん」とその夫に救われて
彰子さんは友里さんの幼なじみだった。都内の短大に進学した彰子さんは、友里さんと毎日のように会っていたという。
「彰子さんは短大を卒業して就職したんですが、その会社の御曹司と大恋愛。1年後には15歳年上の御曹司と結婚したそうです。御曹司とはいえ、大きな会社ではないし、『全然、お金持ちではないけど』ということでしたが……。そんな中で、友里の借金のことも知らなかった。気づいたときにはすでに友里は風俗で働いていたそうです。どうして相談してくれなかったのと泣いたと彰子さんは言っていました。『彰子にはずっと幸せでいてほしいから』と友里は笑っていた、と。彰子さんの夫もとても気を遣ってくれて、友里が一時期、利息さえ返せなくなったとき立て替えてくれたり、一部は支援してくれたりしたそうです。友里がヤケになって、もう生きていたくないと言ったときも、彰子さん夫婦は友里を自宅に住まわせて励まし続けた。『でも私たちは何もできなかった。最後までがんばって返した友里が偉いと思う』と彰子さんは涙ぐんでいました。僕の知らない友里がそこにはいた。どうして話してくれなかったんだろうと思いました。僕は過去を話すほど信頼できなかったんだろうか。彰子さんは『友里は雅斗さんに話せなかったわけではないと思う。あなたによって生まれ変われたから、話す必要がないと思ったんじゃないかしら』と言ってくれました」
自分は妻の何を知っていたのか。妻は自分といて本当に幸せだったのだろうか。雅斗さんはそれを考えると苦しくてたまらなかった。つらくなったら連絡してと彰子さんは言ってくれた。その言葉に甘えて、雅斗さんはときどき彰子さんと連絡をとるようになった。
「彰子さんの夫から招待されて一緒に食事をしたこともあります。『友里さんは頑張り屋でした。私たち夫婦はいつも友里さんから逆に勇気をもらっていた』とまで言ってもらった。過酷な人生を送ってきたのに、友里はいつでも明るかった。過酷だったからこそ、結婚生活に期待と希望をもっていたんじゃないでしょうかとも言われました」
亡き妻の過酷だった時代を知って、彼女が人として立体的になったと雅斗さんは言う。明るく優しい性格は、その過酷さを乗り越えたところから来ていたのだと改めて友里さんに敬意を抱いた。
「夫と友里は関係があった」
その後も彰子さんとは数ヶ月に1度、会った。
「あるとき、彰子さんが『ひとつだけ愚痴を言ってもいいですか』と言い出したんです。どうしたのかと思ったら、『うちの夫と友里が関係をもっていたんです。友里が結婚してからも続いていた』と。これは衝撃でした。何も言えなくなりました。すると彰子さんは『別にそのことで友里を恨んではいないんです。恨んでいるのは、どうせバレないだろうと思っていた夫です。それも今となってはどうでもいいんですけどね』って。『でも、雅斗さん、私の憂さを一緒に晴らしてもらえませんか。あなただって悔しいでしょ。一度だけでいいから』と直截に言われました。『私、夫とはずっとレスで、実は寂しいんです。うちは子どももいないし』と。彰子さんは非常に色っぽい女性なんですよ。友里の親友でなければ、僕だって前から女として意識していたかもしれない。そんな彼女からそう言われたら……。ただでさえ僕は寂しくてたまらなかったから」
妻が不倫していたと聞いて混乱しているところに、好みの女性からの誘いを受けて雅斗さんはますます冷静な判断ができなくなった。彰子さんに誘導されてそのままホテルへ行ってしまう。
「夢のような時間でした。彰子さんは泣きながら乱れて、うれしいとしがみついてきた。僕もなぜか泣いていました。自宅について一眠りして目覚めてから、自分が何をしたのか、やっと気がついた。仏壇の前で手を合わせながら友里に謝りました。同時に友里に『オレじゃ不足だったんだね』と声をかけた。なんだか妙に寂しかったですね」
その寂しさが、また彰子さんに向かわせた。一度きりのつもりがずるずると会い続けることになった。コロナ禍で間遠になり、「もう会うのをやめよう」と思ったが、やはり連絡が来ると会ってしまう。友里さんを介して心がつながり、さらに体の相性が合ったために抜け出すことができなかった。
「この春から娘が中学生になりました。娘が知ったら何重にもショックを受ける。これは決していい関係ではない。そもそも友里は彰子さんの夫を恩人だと日記に書いているのだから。そう考えてハッとしたんです。彰子さんの夫と友里に関係があったというのは本当なのか、と」
彰子さんに会ったとき、それとなく聞いてみた。彰子さんは「本当よ。うちの夫に聞いてみたら?」と言った。口調は強かったが、彼女は彼と目を合わせようとしなかった。
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