専門家が施設よりも「在宅死」を推す理由 自宅改造にかかる費用、排泄トラブル解決術は?

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人間の尊厳

 例えば、自分は何もせずとも施設が食事を用意してくれる。これはサービスのひとつですが、入居者は「運ばれてきたものを食べる」というラインに乗っけられ、慌ただしい時間の流れを感じざるを得ないと思います。そこには、自宅でのゆったりとした時間は存在せず、やはり施設が入居者にストレスを与える結果になっているのではないかと感じることのひとつです。

 皆さんも実感として分かるのではないでしょうか。高齢者でなくても、入院した時のストレスは多くの方が経験していると思います。病院や施設では、食事をはじめ自由が制限され、物理的にも精神的にもさまざまな制約が課されます。「あれをやったらダメ」「これをしたらいけない」。無論、施設側からすれば入居者の安全を考えての対応なのでしょうが、まるで子ども扱い。そこに人間の尊厳があるといえるのか甚だ疑問を感じてしまうのです。

 実際、京都大学教授の外山義先生(故人)は、特養(特別養護老人ホーム)の施設特有の音の硬さと会話量の少なさが、入居者にストレスを与えていると指摘しています。自宅は布や紙や畳などによって生まれる柔らかい音環境であるのに対し、車椅子対応の硬い床から生じる硬い音が入居者にとってストレスになっているのだと。また、施設の廊下で排尿してしまうといったような問題行動も、なじめない施設の環境によって生じているものだとも指摘されています。病院や施設の無機質さが老いのスピードを速め、認知症を進行させる要因になっていると私たちにメッセージを遺してくれたのだと考えています。

「家がくれる力」

 さらに、ベストセラー『病院で死ぬということ』の著者として知られる医師の山崎章郎(ふみお)先生は、「家がくれる力」の存在に触れています。病院やホスピスでの臨終に比べて、家には最期に向けた痛みを軽減させる「何か」があるというのです。この力を科学的に検証するのは難しいでしょう。しかし、建築士として多くの住宅を設計してきた私の立場からしても、家の雰囲気がそのまま家族の雰囲気になるという意味において、「家の力」というものを実感します。

 こうしたことを考えると、やはり自宅こそがついのすみかとしてふさわしいと思わざるを得ません。そもそも、先に在宅死を望んでいる高齢者の割合は55%であるという調査に触れましたが、本音ではほぼ100%の方が在宅死を望んでいるように思います。施設や病院での死を希望する方は、要は家族や周りの人に迷惑をかけたくないという理由からであり、それを気にしないで済むのなら、やはり皆さん自宅での最期を望むのではないでしょうか。

「当人」たちは事情が許せば在宅死を希望している。とすれば、残る問題は「家族」です。親や祖父母を病院や施設に預けるのではなく在宅死させてあげるためには、自分たちで介護などのケアをしなければならず、負担になることは間違いありません。しかし、この負担を前向きに捉えることは可能です。負担が増える一方で、家で看取るメリットがあることも事実だからです。

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