専門家が施設よりも「在宅死」を推す理由 自宅改造にかかる費用、排泄トラブル解決術は?

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 できることならば最期は自宅で迎えたい。本音ではそう考えている人が多いに違いない。でも、家族に迷惑をかけるのは……。1級建築士にして介護福祉士、そしてサ高住の元施設長。異色の経歴を持つ筆者が説く、「本人」と「家族」に向けた在宅死のススメと実践術。【田中 聡/1級建築士、介護福祉士】

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 人生100年時代を迎え、「QOL(Quality of Life)」、生活の質という言葉がよく使われるようになりました。しかし私は、これからの時代はQOLを考えるだけでは足りないのではないかと考えています。

 生き方が多様化しているなか、死に方も多様であるべきです。どのようにして自分らしい最期を迎えるか。「QOD(Quality of Death)」、つまり最期の質をどうやって向上させるかが、これからは問われていくことになると思います。まさに、「生き方」は「逝き方」でもあるわけです。

 では、QODを向上させ、自分らしい最期はどのようにしたら実現できるのか。もちろん、ただひとつの正解があるという話ではありません。しかし、これまでの私の経験から、自分らしい最期は自宅でこそ実現できると考えています。病院や施設で他の人と同じように均一的に扱われ、最期の時を過ごし、死んでいく……。それが質の高い最期だとはどうしても思えないのです。

自宅をついのすみかにできるか否かが重要

〈こう提唱するのは、1級建築士であると同時に介護福祉士でもある田中聡氏だ。

 大手ハウスメーカーでの勤務や設計事務所代表として、約30年の間に千軒以上の家づくりに携わってきた田中氏は、昨年『施設に入らず「自宅」を終(つい)の住処(すみか)にする方法』(詩想社新書)を出版。自ら設計したサービス付き高齢者向け住宅(サ高住)の施設長を務めたこともある異色の経歴の持ち主だ。

 建築士として「理想の住まい」を追求し、また介護福祉士、サ高住施設長として「施設介護の現実」を見てきた田中氏がたどり着いたのは、QODの向上には、自宅をついのすみかにできるか否かが決定的に重要であるという結論だった。〉

「入居しなければ、もっと長生きできたのではないか」

 まず、日本人の「死の現実」を見てみたいと思います。

 厚労省のデータによると、2017年の死亡者数134万人のうち、最期を病院で迎えた人が75%であるのに対し、自宅は13%に過ぎません。

 一方、12年に内閣府が高齢者を対象に行った調査では、最期の場所として介護施設がよいと考えている人は9%だったのに対し、自宅がよいと考えている人は55%にものぼりました。

 つまり、多くの人が自宅で死にたいと望みながら、実際には病院や施設での死を強いられているといえ、意思の面から考えても、在宅死こそが理想の最期であると考えられるでしょう。

 また、サ高住の施設長を務めた私の体験からも、ついのすみかとしてふさわしいのは自宅であるという実感があります。かなり元気で、そもそもサ高住に入居する必要がないのではないかと思える方もいたのですが、そうした方々が入居してから亡くなるまでのスピードが異常に速く感じられ、違和感を拭えなかったのです。入居していなければ、もっと長生きできたのではないか……。そんな感覚が今でも残っています。施設での手厚いサービスなどよりも、制限がなく自宅でストレスフリーに過ごせることのほうが、よっぽど重要な気がして仕方がないのです。

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