「ダチョウ倶楽部」秘話 天下取りを夢見た「伝説の冠番組」と計算し尽くされた「おでん芸」

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志村けんとの出会い

「視聴率は10・3%と2桁に乗せることに成功。しかし、たけしさんから『半年後にはいい思い出(番組打ち切り)になるんだから』と言われていました。3回目には、『ザ・ベストテン』のパロディとして上島さんがドリカムの吉田美和さんのモノマネをしたんですが、これが大ヒンシュクを買って、抗議が殺到。結局、たけしさんの“予言”通り、番組は半年で打ち切られました」

 何でもありだった当時でも抗議殺到とは……。

「ぐだぐだで危ない放送でしたからね。もっとも、その責任はダチョウ倶楽部ではなく、TBSの桂邦彦さんがプロデューサーだったから、というのが業界での通説です。桂さんは『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』で知られていますが、他にはこれといってヒット番組はなく、たけしさんがメインの『笑ってポン!』ですら3カ月で打ち切りとなった、ある意味、伝説のプロデューサーですからね」

「たけしのオールナイトニッポン」(ニッポン放送)でも散々ネタにされていたっけ。だが、ダチョウ倶楽部はめげなかったという。

「ちょうどその頃、上島さんは志村けんさんに声をかけられました。一緒に飲もうと誘われるのですが、怖じ気づいてなかなか行くことができず、最後には志村さんから『俺の酒が飲めねえのか!』と半ば脅される形となって、よやく同席。その数日後には『志村けんのバカ殿様』(フジテレビ)のオファーがあり、トリオでレギュラーになった。ここから主役を盛り立てるワキに徹するようになったようです」

緻密なおでんレシピ

 そして、彼らを語る上で欠かせないのが、マネージャーの存在だという。

「東京のお笑い芸能事務所としては老舗の太田プロは、アットホームなところが売りで、タレントとマネージャーは二人三脚、滅多に交代はありません。彼らを支え続けたのが重成静香マネージャーです」

 忘れられない思い出があるという。

「彼らの代表的なネタ、熱々のおでんを上島さんが顔で受け止め、『アチチチチチッ!』とやる“熱々おでん”を、生放送でお願いしたことがありました。重成さんは二つ返事でOKすると、私に1枚のメモを差し出しました。そこにはおでんのレシピが、細かく、ギッシリと書かれていました」

 メモは以下のような内容だった。

《カセットコンロ×1、プラスチック製お椀×2、割り箸×3、おでんの具セット×4袋、こんにゃく×1袋、おしぼり×6本》

「大根にはダシが十分しみこむように、といった具材ごとの煮込み時間、温度管理の方法、本番での順序など細かく記されていました。中でも肝心なのは、おでんの温度。確か48℃だったと思います。それよりヌルいと湯気が立たないので、視聴者には熱そうに見えない。迫力は無くなり、リアクションは嘘っぽくなる。逆に温度が高すぎると、火傷をしてテレビ局にも迷惑をかけるというのです。だから、『生放送での準備は私らがやりますので、触らないように!』ともありました。本番直前に不用意に鍋のフタを開けてしまい、湯気が飛んでしまったこともあったそうです。おかげで、生放送は大爆笑で終えることができました」

 あの“熱々おでん”も綿密な計算の上に成り立っていたのだ。

「考えてみれば、彼らのネタの多くが、当初はウケようがウケまいがやってみて、倦(う)まず弛(ゆ)まず、工夫を加えつつ演じ続けるうちに、まるで歌舞伎の様式美であるかのように笑いを取るようになった。マンネリの美学と言ってもいいでしょう。そのウラには、マネージャーの努力と気遣いがあったわけです」

デイリー新潮編集部

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