英米で再評価の「江戸川乱歩」「横溝正史」 なぜ今「エログロ」が必要とされるのか

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変態性欲、変態心理という学問の影響

 この「D坂の殺人事件」にはもうひとつ、大きな特徴があります。同作は、古本屋の美人妻が密室で絞殺された難事件を、明智小五郎が快刀乱麻を断つ名推理で解き明かす話です。物語の前半は考現学的ですが、後半はやはり当時巷間で話題になっていた〈変態性欲〉や〈変態心理〉という学問分野の影響下にあります。どこが〈変態〉的なのか、その点に触れるのはネタバレになりかねないので、ここでは一言だけ記しておきます。ズバリ、SMプレイです。

 興味深いことに、「D坂の殺人事件」が発表される8年前には、有名な「小口末吉の妻殺し」(大正6年)という我が国初のサドマゾ殺人事件が実際に起きています。はたして乱歩は、この変態性欲事件をどのていど自作の下敷きにしたのでしょうか?

当初の意味は「逸脱した事象」

 この〈変態〉は、ヘンタイと表記されるように、今日ではなにやらいかがわしくて印象の良くない言葉と受け取られがちですが、明治時代後半から用いられた(これも翻訳語です)当初は、〈正常〉に対する〈異常〉という意味合いでした。逸脱した事象を指していたわけです。したがって、普通なら注目しないようなもの(自殺の場所や女学生の一日の行動、婦人の寝姿とか)を対象とした考現学なども〈変態〉的だったわけです。

〈変態〉という、いわば学術用語を文芸で最初に使用したのは森鴎外だといわれています。それは『ヰタ・セクスアリス』(明治42年)ですが、主人公の哲学者が語る大胆な性欲描写が問題視されて発禁処分になりました。その性的遍歴をあからさまに語った小説を執筆するさいに鴎外が参考にしたと思われるのが、ドイツの精神科医クラフト=エビングの著作です。つまり19世紀末の西欧で誕生した性科学(セクソロジー)です。

 その性科学が学問として興った背景には、イタリアの精神科医・犯罪人類学者チェーザレ・ロンブローゾの唱えた〈生来性犯罪者説〉があり、その基盤には退化論や優生学、あるいは観相学や骨相学といった西欧の疑似科学の趨(すう)勢があります。そのあたりの事情は、今回上梓した拙著『怪異猟奇ミステリー全史』で詳述しています。

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