英米で再評価の「江戸川乱歩」「横溝正史」 なぜ今「エログロ」が必要とされるのか
独自の発展を遂げた、日本のミステリー小説。その礎を築いたのが、江戸川乱歩、横溝正史の二大巨頭である。巧妙なトリックの一方、両雄の創作の原点には、実は「エログロ」「変態性欲」の世界があった――。幻想文学研究家・風間賢二氏が解き明かす、異端の文学史。
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虚構上の〈知〉のスーパーヒーローといえば、英国の作家コナン・ドイルが創造した名探偵シャーロック・ホームズでしょう。わが国では江戸川乱歩が生み出した明智小五郎、あるいは横溝正史の金田一耕助。若い世代にとっては漫画やアニメでおなじみの江戸川コナン少年といったところ。
今日では、快刀乱麻、複雑な謎をさらりと解く天才的頭脳の持ち主として畏敬の念をもって口にされる「探偵」ですが、かつては嫌われ軽蔑された存在でした。たとえば、文豪夏目漱石は代表作『吾輩は猫である』(明治38年)でこのように記しています。
「不用意の際に人の懐中を抜くのがスリで、不用意の際に人の胸中を釣るのが探偵だ。知らぬ間に雨戸をはずして人の所有品を偸(ぬす)むのが泥棒で、知らぬ間に口を滑らして人の心を読むのが探偵だ。ダンビラを畳の上へ刺して無理に人の金銭を着服するのが強盗で、おどし文句をいやに並べて人の意志を強うるのが探偵だ。だから探偵と云う奴はスリ、泥棒、強盗の一族で到底人の風上(かざかみ)に置けるものではない」
探偵に対する蔑視
夏目漱石は、ロンドン留学の際、異国の慣れない生活に精神をやられて深刻な神経衰弱にかかり、自分は日本国政府の探偵に終始見張られているという妄想に陥った。それが高じて「探偵と高利貸程下等な職はない」と断言するに至ったようです。
いや、探偵に対する蔑視は、漱石ばかりではなく、明治時代では一般的だったようです。ジャーナリストであり著名な翻「案」家でもあった黒岩涙香の国産ミステリー第1号と称される短編「無惨」(明治22年)の冒頭でも、当時の一般的な探偵観が述べられています。それを要約しますと次のようになります。
探偵ほど忌まわしい職はなく、友達顔をして親身に悩み相談に乗って秘密を聞き出し、すぐさまそれを他人に売りつける。外面は菩薩だが内心は夜叉とは女ではなく探偵のことである。悪人を探すために善人までも疑い、盗み見や盗み聞きは当たり前、人を見れば泥棒と思えを職業上の金科玉条とし、果ては人を見れば泥棒であってほしい罪人であってほしいとまで祈るに至る。
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