ロシア外交官“8人国外退去”で思い出す「大物スパイ」 協力者に自民党、社会党大物議員の名
公安捜査員が極秘裏に面会
レフチェンコは具体的にスパイ工作の内容も証言している。1976年1月、周恩来中国首相が亡くなった時、サンケイ新聞(1月23日付)が周首相の遺言を掲載した。当時、これはKGBが提供したものだったと報道されている。また、外務省の協力者がレフチェンコに秘密公電を大量に提供していたとも語った。
勝丸氏によると、実は1983年3月、警察庁警備局外事課と警視庁公安部外事1課から2人の捜査員を渡米させ、極秘裏にレフチェンコに事情聴取をしたという。
「FBIが間に入って、レフチェンコと面会する場を設けてくれたのです。2人の公安捜査員は当初、レフチェンコが口を閉ざすのではないかと思っていたそうですが、日本人協力者について饒舌に語ったそうです。非常に聡明で洗練された人物だったといいます」
2人の公安捜査員が驚いたのは、協力者が日本人だけではなかったことだ。
「当時は冷戦時代でしたから、アメリカ人はソ連人に対してかなりの警戒心を抱いていました。ところがレフチェンコは、日本でアメリカ人を含む他の外国人の人脈を築いていたのです。アメリカ人も取り込むなんて、すごいスパイだと思いましたね。米軍関係者というより、パーティーなどの社交の場でアメリカ人や他の外国人と親しくなって情報を収集していました」
もっとも、アメリカ人の人脈を築いたことがアダとなった。本国から二重スパイの容疑をかけられていたのだ。
「KGBで彼の後ろ盾だった幹部が失脚したこともあり、このままでは未来はないと思いアメリカへの亡命を決意したんです。元々彼は、アメリカに憧れていたこともあったそうです」
今回追放された8人の中にレフチェンコのようなスパイはいたのだろうか。
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