史上最年少で囲碁「名人」挑戦の仲邑菫 叔母が振り返る「神童の育て方」

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 若手棋士といえば将棋の藤井聡太五冠(19)の名が口にされがちだが、どっこい囲碁の世界も前途有望な才能の宝庫なのである。10歳で史上最年少のプロ棋士となった仲邑菫(なかむらすみれ)二段(13)もその一人。先頃タイトル戦の挑戦者としても最年少記録を更新したが、かような神童はいかにして生まれたのか。

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 結果は2連敗ながら、仲邑二段は囲碁界の歴史を大きく塗り替えた。3月、第33期女流名人戦三番勝負に出場を決めた時点で、彼女はまだ13歳。史上最年少のタイトル戦挑戦者として注目を集めたが、4月16日の第2局で藤沢里菜女流四冠(23)に負け、タイトル奪取とはならなかった。

 観戦記者が言うには、

「勝利した藤沢四冠は5連覇達成で『名誉女流名人』の称号を手にしましたが、女流最強の異名を持つ彼女は、タイトル戦を16歳1カ月の時点で勝利した最年少記録を持っています。つまりは、今回13歳1カ月で挑戦した仲邑二段が藤沢四冠に勝っていれば、記録が大幅に更新されていたはずです」

「スマホとか持っていないはず」

 まだ仲邑二段は中学2年生になったばかり。囲碁にかける情熱は並大抵のものではないという。

「菫本人はスマホとか持っていないはずですけど、もともと携帯ゲームとかインターネットはおろか、テレビさえ家で観る環境には育っていないと思いますね」

 そう明かすのは、仲邑二段の叔母で、自らも棋士である辰己茜三段(39)だ。

「菫が幼い頃、姉一家は埼玉から大阪に引っ越したのですが、それを機にテレビを手放したと聞いていますので、毎日囲碁ばかり打っていたと思います。菫から“テレビを観たい”などの不満は聞かなかったですね。保育園とか小学校で、当時だったら『アナと雪の女王』などがはやり、教室で友達が歌を歌ったりキャラクターグッズを持っていたりしたそうですが、菫は物語の詳細を知らずとも周囲に溶け込めていました」

 父は棋士の仲邑信也九段で、母も囲碁インストラクターだったという家庭に育った仲邑二段は、3歳で囲碁のルールを覚え、大人と互角に戦ったというから驚かされる。2019年4月には、日本棋院の「英才特別採用推薦棋士」の第1号として入段を果たし、公式戦デビューや二段昇段などの節目で、最年少記録を樹立し続けてきた。

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