間宮祥太朗「ナンバMG5」にも三原則…なぜヤンキードラマや映画が人気なのか

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 ヤンキー作品の静かなブームが続いている。フジテレビは間宮祥太朗(28)主演の連続ドラマ「ナンバMG5」を放送中。日本テレビは7月から人気ヤンキーマンガ「新・信長公記~ノブナガくんと私~」を永瀬廉(23)主演で連ドラ化する予定だ。なぜヤンキー作品は求められているのか?

 街でヤンキーを見掛けることがほとんどなくなった。絶滅寸前と言っても良いだろう。
 半面、ヤンキー作品の人気は根強い。昨年7月には映画「東京リベンジャーズ」が公開され、大ヒットしたのは記憶に新しい。

 現在も連ドラ「ナンバMG5」が放送されている。7月からは「新・信長公記~ノブナガくんと私~」が連ドラ化される予定だ。

「新・信長公記」の舞台は日本一の不良高校。そこに織田信長ら戦国武将のクローンが集まり、壮絶な総長争いを繰り広げるという物語である。ブッ飛んだ作品になるはずだ。

 なぜ本物のヤンキーはほぼ消えたのに、ヤンキードラマと映画は絶え間なくつくられるのか。
 それはヤンキー作品が日本固有の「文化」として定着し、確固たるニーズがあるからだ。

 武士が消えてから150年以上過ぎたものの、今も時代劇ファンが大勢いるのとほぼ同じ構図だ。
 ただし気を付けなくてはならないことがある。「本物のヤンキー」と「ドラマや映画の中の主人公としてのヤンキー」は違う。似て非なるものである。

若い男性を魅了する3原則

 本物のヤンキーをリアルに描いたら、ドラマや映画にならない。暗くなってしまうだろう。歴史上の武士をそのまま時代劇で描いたら面白くもなんともないのと一緒だ。

 1980年前後のヤンキー全盛期を知る人なら、よくご存じのはず。本物のヤンキーの一部はケンカやカツアゲ、トルエン遊び、バイクと車での暴走行為など数々の悪さをしていた。

 結構コワイ存在だった。街で目が合っただけで物陰に連れ込まれブン殴られてしまうこともあった。

 一方、ドラマや映画の主人公としてのヤンキーがする悪さは「ケンカ」と「対立グループとの抗争」「暴走行為」程度である。本物とは随分と異なる。

 また、主人公としてのヤンキーは「大義」がないとケンカも抗争もしない。その大義の大半は「身内や仲間を助けるため」である。暴走行為をする時も「一般車両を巻き込まないよう注意する」のだ。

 主人公としてのヤンキーは昭和期のヤクザ映画のヒーローたちと同じく、カタギの衆(ヤンキーあるいはヤクザ以外の人)には迷惑を掛けないようにしている。

「東京リベンジャーズ」に登場した「東京卍會」のマイキー(吉沢亮)とドラケン(山田裕貴)もそうだった。対立組織の構成員や規律を守れないメンバーはボッコボコにしたが、それ以外の人にはやさしかった。

 また、マイキーとドラケンは首都高をノーヘルのバイクで疾走したものの、煽り運転などはしていない。騒音も立てなかった。主人公やそれに準ずる立場のヤンキーはことごとく良い奴なのだ。

 そのうえ主人公としてのヤンキーはほぼ例外なくケンカが滅法強く、度胸も満点。「ドラゴンボール」の孫悟空のような存在だ。視聴者と観客から支持されるはずである。本物のヤンキーがそのまま主人公になったら、こうはいかない。

 ヤンキー作品は若い男性を魅了する「友情」「努力」「勝利」という3原則も盛り込みやすい。これは「週刊少年ジャンプ」の作品群の編集方針と一緒である。

 この3原則を盛り込むことにより、ヤンキー作品はラブコメやミステリーに関心のない層も引き付けられる。

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