「沖縄署騒動」はなぜ起きたのか…「高校生失明事件」の捜査が長引く「2つの特殊事情」

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ライカム交差点

 米軍に抗議する群集の列は、「琉球米軍司令部(Ryukyu Command headquarters)」の手前まで達した。同司令部は、頭文字を取って通称「RyCom(ライカム)」と呼ばれていた。沖縄署近くの交差点の名称は、その「ライカム」から取られたものだが、2つの騒動に通底する因縁はそれだけではない。

「深夜1時30分ごろに発生したコザ騒動は、午前7時ごろに収束しました。ライカムを目指した群集の行進は、米軍の部隊によって鎮圧。催涙弾を携えた米兵が隊列を組んで待ち構えていたのが、ちょうど今の沖縄署のあたりで、いわばそこがコザ騒動の終点になったわけです」(同・記者)

 こうした様々なファクターが、日本復帰前の沖縄を知る人々の記憶を呼び覚ましたわけである。

 1970年のコザ騒動では、当日に21人が琉球警察(当時)によって逮捕され、翌71年1月には騒擾罪の容疑で、さらに10人が逮捕されている。今回の騒動による逮捕者はまだ出ていないが、県警は器物損壊容疑で捜査を進めているという。

公務員も「暴動」に参加していた

 それにしても、なぜ騒動は、あれほどの規模に膨れ上がったのか。背景にSNSの存在があるのは間違いなさそうだ。

「発端となった高校生の事案の内容を伝えるスクショ(スクリーンショット)の画像が広く出回ったんです。高校生と同年代の若者たちがLINEのグループで共有したり、InstagramやTikTokに投稿した。事案の検証動画をYouTubeで配信する者もいて、かなり広範囲に広がったようなのです」

 前出の地元メディアの記者は、こう振り返る。

 騒動があった当夜、那覇市に住むAさん(19)にも、LINEのトークを通して、沖縄署への抗議に参加するよう呼びかけがあった。沖縄市の近くに住む友人からの誘いだったという。

「同じ高校の子から『面白そうだから行かないか?』と。その子は、けがをした子とは直接面識があるわけじゃなくて、インスタのストーリーを見て行こうと思ったみたい。バイクで深夜2時くらいに行ったって言ってましたよ。なんで行ったか? 警察への抗議とか、そんなんじゃないと思いますよ。本人は『暇だったから』って言ってました。集まったほとんどが、そんな感覚じゃないですか」

 Aさんによると、この友人は騒動後に高校を卒業し、県外で公務員として勤務しているという。

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