北朝鮮のスパイと結婚した日本人看護婦 夫の正体を知った後、彼女はどう振舞ったか

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 日本の公安警察は、アメリカのCIA(中央情報局)やFBI(連邦捜査局)のように華々しくドラマや映画に登場することもなく、その諜報活動は一般にはほとんど知られていない。警視庁に入庁以後、公安畑を十数年勤め、数年前に退職。昨年9月に『警視庁公安部外事課』(光文社)を出版した勝丸円覚氏に、北朝鮮のスパイに操られた日本人看護婦について聞いた。

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 特別な訓練を受けてなくてもスパイにはなれる。今回ご紹介するのは、それを裏付けるような話だ。

 東京都足立区にあった内科「金医院」の看護婦・高山英子(仮名=当時29)は、金応国院長の勧めで貿易商を営む滝川洋一と結婚した。そして1961(昭和36)年1月、新宿区戸塚町に新居を構えた。

 英子は埼玉県大里郡の農家で6人兄弟の3女として生まれた。一家は貧しく、2人の姉は1人が芸者、もう1人は料理店の仲居をしていた。姉たちのようにはなりたくないと思った彼女は、いい人を見つけて幸せな結婚するのが夢だったという。

「院長が紹介してくれた人なので、舞い上がってしまったのかもしれません。滝川のことを何の疑いもなく受け入れてしまったのでしょう」

 と語るのは、勝丸氏。

卒業アルバムに「崔燦寔」

 ところが、だ。ある時、英子は洋一が留守の間、彼の母校である法政大学の卒業アルバムをめくっていた。だが、滝川洋一の名前が見当たらない。妙な胸騒ぎを覚えながらアルバムの中から夫の顔を探した。

「ようやく夫の顔写真を見つけました。けれども名前は『崔燦寔(チェ・チャンシク)』でした。彼女は叩きのめされたようなショックを受けたそうです。その日帰宅した夫に英子が問い詰めると、自分は北朝鮮軍大尉で、民族保衛省偵察局から派遣されたスパイであることを明かしたのです」

 崔は戦前、日本に留学した朝鮮人で、1943(昭和18)年に法大卒業後、ソ連占領下の北朝鮮へ戻り、政府鉱山局勤務を経て北朝鮮軍に入隊。1950(昭和25)年に北朝鮮で死亡した滝川洋一という日本人になりすますため、スパイ訓練を受けた。

「崔は1960(昭和35)年、日本に潜入します。北朝鮮人出身の金応国院長を訪ね、自分の正体を明かし、結婚してくれそうな日本人女性を紹介してくれるよう依頼するのです。院長は英子を紹介したのです」

 崔から夫の正体を聞かされた英子は、「そんなバカなことって……」と驚き突っ伏したという。

「崔は英子に『君をだました。しかし一緒に生活してみて、君を愛したことだけは本当だ』と言うと、英子は崔の懐に飛び込んで泣いたそうです。普通だったら、その時点で離婚するはずですが、彼女も崔のことを本当に好きだったんですね」

 崔の任務は、在日米軍、自衛隊、韓国大使館の情報収集、在日本大韓民国民団(民団)の分裂工作などだった。

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