グローバル化が生んだ「エリートと庶民の分断」 経済的移民の受け入れは本当に人道的なのか

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一般の庶民の幸せ

 グローバル化推進を喧伝する現在は、自分の生まれた国・地域の言語や文化からの脱却こそ望ましいのだと考える風潮がありますが、本当にそうなのか。言語、文化、常識の壁もあり、生まれた国には家族もいるでしょうから、簡単には国境を越えた移動などできません。そういった一般の庶民の幸せを基準に社会制度は設計されるべきだと思うのです。

 そもそも、それぞれの故国で豊かになれるに越したことはないはずです。わざわざ生まれた国を離れて他の国に行き、安価な労働力としてダーティーワークに従事させられることを自ら望む人はいないでしょう。したがって、日本がとるべき選択肢は、「経済的移民は受け入れません。その代わり、『引っ越さなくてもいい世界』を作るために、国づくりの援助をします」というものなのではないかと思います。そのほうが、新しい秩序作りという意味において国際的に評価されるでしょうし、何よりも、より人道的です。

 現在、コロナ禍により、国境を越える往来が物理的に制限されていますが、いずれコロナ禍が終息し、その制限がなくなった時、何事もなかったかのように日本はまたグローバル化の道に戻ってしまうのか……。

 私は、「ポスト・コロナ時代」は「ポスト・グローバリズム時代」であるべきだと考えています。

施 光恒(せてるひさ)
九州大学大学院教授。1971年、福岡市生まれ。慶応義塾大学法学部卒業。英国のシェフィールド大学大学院政治学研究科の修士課程、慶應義塾大学大学院法学研究科の博士課程を修了。専攻は政治理論、政治哲学。『本当に日本人は流されやすいのか』『まともな日本再生会議―グローバリズムの虚妄を撃つ』(共著)等の著作がある。

週刊新潮 2022年4月21日号掲載

特別読物「シリーズ『ポスト・コロナ』論 もたらしたのは『分断』 『グローバル化=善』の欺瞞」より

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