グローバル化が生んだ「エリートと庶民の分断」 経済的移民の受け入れは本当に人道的なのか

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インバウンド頼みの経済

 こうした問題を孕(はら)むグローバル化のひずみは、コロナ禍によってよりあらわになりました。基本的に感染症対策は国家単位で行われたことで、国家の大切さが、そしてまさに“グローバル頼み”ではないサプライチェーンの重要性も再認識されました。マスクにしても、人工呼吸器にしても、国民生活の基幹となる物資を市場原理だけに任せて調達するのは危険で、国内に一定量を確保しておかなければならないという当たり前のことを改めて実感させられたのです。

 しかしながら、日本の現状はどうか。例えば、グローバル化の象徴的政策である観光立国路線が変更されたとの話は寡聞にして知りません。2030年に訪日外国人を6千万人にするという目標は今も変わっていないはずです。さすがに、今すぐにインバウンドを増やす動きはありませんが、コロナ禍が落ち着けば、何事もなかったかのように再び先の目標に向かって邁進していく可能性が大いにあります。

 そもそも、インバウンド頼みの経済自体がグローバル化の“弊害”といえます。グローバル化が進行した結果、日本の中間層はどんどん貧しくなっていきました。厚労省が発表している国民生活基礎調査を見ると、1994年の1世帯当たりの平均所得が664.2万円だったのに対し、2018年には552.3万円と17%も下がっています。つまり、国内で経済を回すことが難しくなった分を、インバウンドで賄(まかな)おうとした。

 しかし、これは話の筋が違う。国民生活を豊かにすること、すなわち内需を拡大させることをまず第一に考えるべきであり、内需の目減りをインバウンドで埋めるという発想は、国民軽視に他なりません。それを「グローバル化」という言葉で糊塗してきた。この根本的な考え方を見直さなければ、ポスト・コロナ時代はまたインバウンド頼みに戻ってしまうのではないかと危惧しています。

二つの理想的世界

 このように、グローバル化は大きな問題を抱えているわけですが、国際化はそれとどう違うのか。

 昨年、日本で翻訳が出版されたイスラエルの政治学者であるヨラム・ハゾニー氏の著書『ナショナリズムの美徳』では、ヨーロッパの政治の伝統には二つの理想的世界のビジョンがあると解説されています。ひとつは「多数の国々からなる世界」、そしてもうひとつは「帝国的世界」です。

 前者は文字通り、それぞれの国が自分たちの言語や文化、伝統を大切にした国づくりを行った上で、互いの違いを認めて共存、共栄していくことを理想とするビジョンです。

 そして後者は、理性的、合理的、普遍的な単一の制度やルールを定め、それを世界に遍(あまね)く広げていくことを理想とするビジョンです。

 ハゾニー氏は、この二つの世界像のどちらが強くなるかは、時代によって変わってきたと分析します。キリスト教が国教化されて以降のローマ帝国は「帝国的世界」であり、他方、宗教改革以降はそれまで統一的に使われていたラテン語の聖書が各国の言語に翻訳されていき、「民族自決」という考え方に象徴されるように「多数の国々からなる世界」が強くなって第2次大戦まで続いた。ところがヒトラーの登場により、戦後はナショナリズムが忌避され、再び帝国的世界が志向されるようになった。その結果、第2次大戦後のヨーロッパはナショナリズムを極力排除しようという方向に動き、代表的なものとしてEUが誕生した――。

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