ヤクルトのエースに憧れ、海を越えたパラグアイの日系二世…独立リーグ・高知が描く“未来図”

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日本のプロになりたい

 その「イグアス少年野球」でプレーしている時、父からこう告げられたという。

「ここでプレーして、日本のプロになった人がいるんだよ」

 元ヤクルト・岡林洋一は、中学までパラグアイで育ち、その後、高知商から専大を経て1990年のドラフト1位指名でヤクルトに入団し、1992年には15勝をマーク。その年の日本シリーズでは3試合、30イニングを投げ、西武に日本一は奪われたものの、岡林はシリーズ敢闘賞を受賞。名将・野村克也がヤクルトの監督として初めてのリーグ優勝時の大黒柱として活躍した。

 その大先輩が、二口にとっての憧れであり、理想のモデルだった。いつか日本に行って、実力をつけて、岡林のように日本のプロになりたい。その夢の第一歩として、クラブチームの監督から紹介されたのが「高知」だった。

 二口のチームの監督は、前監督の駒田徳広(2022年から巨人3軍監督に就任)が、高知球団のスタッフらとともに、パラグアイへ野球指導にやって来た際、野球指導についての講座を受けていた。その繋がりから、二口を高知球団に紹介したのだ。

 パラグアイでは、日本の高校野球における「甲子園」に相当するような全国レベルの大会はない。二口によると、年に2回ほど近隣の地域の対抗戦のような大会が行われ、2022年1月に8チームで争われた大会で、二口は一人で17イニングを投げたという。

 一日で3試合。つまり、大会を一日でこなすという日程だ。ただ、初戦と準決勝は5イニング制、決勝は7イニング制だという。

 身長178センチ、体重70キロのスリムな体つきの二口が一人で投げ抜き、チームを優勝に導いた。そのセンスの高さを見込んだ監督は、さらなるレベルアップを図るべきだとして、高知球団にも相談、二口の日本行きを促したのだ。

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