外務省「ロシアに不法占拠」と19年ぶりに明記 本当は「南千島」なのになぜ「北方領土」と言い出したのか

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「北方領土と言う呼び方が悪い」

 では、「北方領土」という言葉はどうか。

 領土問題や根室経済に詳しい足立(あしだて)義明氏(84)は、「そもそも『北方領土』などという名称が悪い。地名の固有名詞ではないし、国土地理院の地図にも北方領土なんてどこにも書いていない。竹島や尖閣諸島ならどこのことかわかるが、あれではどこのことなのか国民にもわかりにくい」と強調する。「北方領土」では「日本の北方に位置する領土」でしかない。といって択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島をひと括りにする名称も難しい。

 筆者も、中国地方の国立大教授がロシアのサハリン島を北方領土だと思っていたことを知り驚いた経験がある。足立氏自身は元島民ではないが根室で育ち、根釧漁船保険組合(根室市)の幹部として長年、「国境の海」を見つめてきた。「日本青年会議所(JC)のメンバーの頃、富山県などで領土問題の講演もしていたよ」と振り返る。

 北方領土問題の「発端」は、1945年2月に行われたソ連のスターリン首相、英国のチャーチル首相、米国のルーズベルト大統領のヤルタ会談。ヤルタはウクライナ(当時はソ連)のクリミア半島にある保養地である。日本の敗戦が濃厚になり、ここでスターリンとルーズベルトの間で密約がなされ、ソ連の対日参戦と引き換えに、樺太の南半分と千島列島のソ連領有を認めた。ルーズベルトは日本の執拗な抵抗で、これ以上米兵の犠牲者を出すことを恐れてソ連軍を頼ったが、スターリンは「なぜ大きな紛争も抱えていない日本とソ連が戦争しなくてはならないのか」と要求を引き上げる。後にスターリンが北海道の北半分まで要求したのは有名な話だ。トルーマン米大統領が反対しなければ今頃、北海道はどうなっていたのか。

 日本はヤルタ会談の結果について、現在も「密約であり、認められない」との立場だ。

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