戦後日本で優遇されて勢力を拡大した「在日本朝鮮人連盟」 預金封鎖をされない特例措置

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「暗殺すべし」

 しかし日本が敗戦国となり朝連が誕生すると、共産主義者たちは、軍の協力者である朴春琴をやり玉にあげ、「朴春琴ら9名を暗殺すべし」と騒ぎ立てた。そして実際に朴春琴邸は彼らの襲撃を受けるが、朴は不在で難をのがれ、しばらくは消息不明となった。張赫宙の「在日朝鮮人の内幕」(「新潮」1952年3月号)によれば、朴は戦後に「家屋敷数軒を、『朝連』に寄附し、献金をして、漸く『朝連』の懲罰を免かれ」たという。これは田駿の「親日派個別的強要寄付」に当たるだろう。

 1946年になると、朝連内には「特殊財産接収委員会」が設置される。朝連が大阪市中之島中央公会堂で開催した第3回全国大会(1946年10月14日から17日)で、韓徳銖(のち初代在日本朝鮮人総聯合会中央常任委員会議長)が行った「総務部経過報告」には、資金集めの一端が明かされている。

「日本帝国主義は朝鮮内でのみ搾取するのに足らず、朝鮮侵略の参謀本部である朝鮮総督府出張所を東京に置き、恒常的に圧迫と搾取の研究を行なった。それだけだろうか。民族意識を失くした売国奴、私利私欲に奔走する謀利の輩たちを手下にして、協和会だの興生会だの一心会だの相愛会だのと称して朝鮮民族をこの地球上から抹殺しようとあらゆる策動を行なって来たのだった。この反動輩たちは終戦の“ドサクサマギレ”に乗じてその財産を私物化乃至は乱用してウヤムヤにしようと務めた。これを知った朝聯は三千万朝鮮民族の一翼である在日同胞の代表機関として、これは容赦出来ないと早くから真相の調査に努力し、遂に一月六日特殊財産接収委員会(朴成発、鄭文玉、趙忠紀、李哲)を構成した」

共産主義者を頼った王家

そして同委員会が次のような財源を確保したことを記している。

「接収成果 一心会

現金 八一万九九六八円一三銭

用紙 百二十四連

鉄鋤 四五七丁」

 これは一心会から得た追加分であろう。また「用紙」という項目があるが、戦後の物資不足の中で、「紙」は入手が非常に困難なものであった。ここで接収された用紙は、「アカハタ」「前衛」に流用された可能性がある。

 続けてこの報告では、朝鮮李王家や他の親日団体の財産への処置にも言及する。

「李王家に対しては、もともと団体或いは個人の寄付強要があり、朝聯の同意なしの寄付行為等は一切厳禁するという通告文を発す」

 この寄付強要は、恐らく国際大学創立を名目に張斗天という人物が寄付を強いたことを指していると思われる。「在日朝鮮人の内幕」の中で張赫宙がこれに触れている。この時、李王家が張の脅迫から逃れるために駆け込んだのは、朝連の申外務委員長だった。王家が共産主義者を頼ったのである。

 その後、李王家は、先に登場した梅田組社長・孫海奎から金銭援助を受けている。孫は戦後、いったんは朝鮮半島に帰還したが、ほどなく日本に舞い戻った。この時、孫の人徳を慕って数千人の労働者が集まってきたという。「在日朝鮮人の内幕」には、孫が李王家に出入りしながら、米軍の飛行場の建設工事をするようになったいきさつも記されている。

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