戦後日本で優遇されて勢力を拡大した「在日本朝鮮人連盟」 預金封鎖をされない特例措置
親日派朝鮮人の持つ資産を次々に奪い、活動資金にしていった「在日本朝鮮人連盟」。彼らが混乱期の戦後日本で圧倒的優位に立てたゆえんは、さまざまな優遇措置にあった。その最たるものは、2年に及ぶ「預金封鎖」下で、自由にお金が引き出せたことだった。
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【写真3枚】1932年の総選挙で朝鮮人として初当選した「朴春琴」
61万人を超える朝鮮人を傘下に収め、占領下の日本で圧倒的な力を持った在日本朝鮮人連盟(朝連)――。日本共産党の再建を支えた彼らの潤沢な資金はどこから調達したものなのか。
これについて、いくつかの資料がある。例えば「もっとも重要な一財源は朝鮮人引揚である」と指摘するハーバード大学のエドワード・ワグナー教授の『日本における朝鮮少数民族』。また韓国側の資料では、終戦時に上海で陸軍少尉の任にあり、後に国際タイムズ論説委員、高麗大学亜細亜研究所研究員を務めた田駿の『朝総連研究』(高麗大学校亜細亜問題研究所)がある。本稿ではそれらに加えて、朝連の「総務部経過報告」や金斗鎔の遺した資料なども参照しながら、財源を探っていく。
資金源は?
田駿は、その資金源を次のように整理している。
・一心会及びその他団体引き継ぎ分
・親日派個別的強要寄付
・帰国者財産管理処分関係
・帰国者退職金等関係
・帰国者運賃払戻分
・特配分関係
・封鎖預金関係
本連載第5回で、朝連設立時、共産主義者が戦前からの日朝融和団体が持つ資金を奪って、その幹部たちを追い出したことを書いた。上記の「一心会及びその他団体引き継ぎ分」がそれに当たる。ここでその資金がどんな性格のものであったか、まず詳しく説明しておく(帰国者関係の財源は回を改めて書く)。
政治犯釈放運動の中心人物であった金斗鎔は、朝連準備委員会で相愛会、協和会などの幹部と相談しながら、戦前戦中から彼らが蓄えてきた資金を革命運動の原資にしようと考えていた。そこで最初に目をつけたのが、一心会の資金である。
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