“話数短め”ネトフリ韓国ドラマ 軍隊イジメに児童虐待……社会派の4作
「イジメ」と「児童虐待」
韓国ドラマは、社会的なテーマを盛り込みながらエンタテイメントを作るのが本当に上手い。格差やフェミニズムなど、その時々の社会的なトピック(ドラマでそうした要素を扱うことは、その時点の世間の標準的な考えを塗り替えていくことが多い)のだが、特に「イジメ」と「児童虐待」はこの数年、配信作品を中心に多く扱われているテーマに思える。「人間レッスン」(全10話)はその両方を同時に扱った作品だ。
高校生の主人公オ・ジスは、成績は学年トップで、遅刻・欠席や校則違反もないかわりに主張もしない優等生だ。なるべく目立たないよう生きているのは、「売春組織の元締め」という裏の顔を持っているから。スマートフォンを駆使して、自身は顧客とも売春婦とも接触せずに、上手く回るシステムを作り上げたのである。一攫千金ばかりを狙う働かない父親は借金を残したまま消え、その生活に疲れた母親は、ジスを残してアパートを出た。両親からの完全なネグレクトの中、どうにか生きる方法を探って、ジスはこの商売を始めたのである。望みはただ「大学に行き普通の生活を送ること」だけだ。
だがその秘密を同級生ぺ・ギュリ――成績はジスに次ぐ2番で、美人で金持ちの、学園の女王ともいうべき存在――に知られてしまう。大手芸能事務所の社長である母の教育虐待とモラハラに苦しむ彼女は、その支配から逃れるための金ほしさに、なかばジスを脅迫してビジネスに加わる。これをきっかけに、慎重に慎重を重ねていたジスのビジネスの歯車が狂い始めるのだ。
ここにさらに彼らの2人の同級生――ジスに目をつける不良グァク・ギテと、援助交際で稼いだ金をそのギテに貢ぐシ・ミンヒを加えて、物語は進んでゆく。高校生たちはそれぞれに問題を抱え、恐れを知らない世間知らずゆえ、手っ取り早いが誤った方法でそれを解決しようとする。「大人なんて手玉にとれる」とナメてかかって足を踏み入れた世界で、徐々に抜き差しならない状況に追い詰められてゆく過程で、ハラハラしっぱなしのサスペンスが展開する。だがそれは必ずしも子供の罪ではないのは明らかだ。ドラマは初回、彼らの担任(このドラマの良心ともいえる存在)の口を借りて、そのテーマを宣言する。曰く「学生を人間としてとらえているのか」。優等生、不良、援助交際、虐待児――個々の事情はおかまいなしでそうした言葉でひとくくりにされる子どもたちは、結局のところ社会に見過ごされている。
ゾンビだらけの学校で…
そんな社会の歪みを顕在化させるのに効果的なのは、登場人物を極限状態に置くことである。「今、私たちの学校は…」(全12話)では、学校で突如ブレイクアウトしたゾンビ・ウイルスによって、学校の、そしてやがては世の中全体の秩序が完全に破壊されてゆく。コロナウイルスが蔓延した実際の世界を見ても分かるが、世界が変化してなお行動を変えられないのは、かつての世界で権力をふるっていた大人たちだ。何も持たない子供たちは、すぐにその世界での生き方を学び行動を変えてゆく――いい意味ではもちろん、悪い意味でも。つまり無法地帯では、教師と生徒、いじめっ子といじめられっ子の力関係は逆転し、誰が死んでもおかしくないし、それを道義的に責める人間もいないのだ。
生徒の大半がゾンビとしてさ迷い歩く校内で生き延びた主人公たちのサバイバルは、ジェットコースター的なハイスピードエンタテイメントとして描かれる。巨大な閉鎖空間である学校には、薬品だらけの化学室、食べ物だらけの食堂、楽器だらけの音楽室、スポーツ用品だらけの体育館、外の世界に開けた校庭と屋上に、医療品が一通りある保健室もあり、アイディアさえあれば様々な場面を作ることが可能だ。だがそこに行くには、いちいちゾンビだらけの校内を移動しなければならないのだ。面白くしかなりようがない。
韓国のドラマや映画のクリエイターは、社会の暗部から決して目をそらさない。それをテーマに選ぶだけでなく、安易な希望を抱かせることすらしない。それゆえに心に突き刺さり、見終わった後に様々な思いが湧き上がる。ドラマの一気見に最適な休日、いまや全世界が注目する韓国エンタテイメントの底力を、最高のドラマで体験してもらいたい。