「在日本朝鮮人連盟」と一体化していた日本共産党 活動資金、人的ネットワークをカバー

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 戦後、日本共産党を再建することになる日本人幹部たちは、長らく収監されていたため、活動資金も人的ネットワークもなかった。それをカバーしたのは、在日本朝鮮人連盟である。当時、多くの朝鮮人が掛け持ちして共産党員となり、組織作りや活動を主導していった。

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 敗戦後の日本に「在日本朝鮮人連盟」(朝連)という、共産主義者が支配する巨大な朝鮮人組織が誕生した。この組織は、日本共産党の再建に大きな役割を果す。

『在日一世の記憶』(小熊英二・姜尚中編、集英社新書)にも証言が収録されている李達完は、父親が在日本朝鮮人連盟の長野県本部を作り、自身は日本共産党長野県辰野支部を任されていた人物である。李は辰野支部を設立した当時のことを筆者(東郷一馬)に、

「日本共産党といってもね、当時は実体がなく、名前はあっても形はなく、在日本朝鮮人連盟の上に乗っていただけなんだ」

 と語っていた。

 朝鮮総連の活動家だった李玄鎮も、滋賀県竜王町で中学時代に共産党に入党したが、

「日本共産党に入る時、共産党員というのは5、6人しかいないんです。ほとんど在日の人で、日本人はたった1人でした」

 と回想する。

 地域にバラつきはあるが、終戦時、日本共産党員の多くは朝鮮人であり、地方支部では、朝連と党支部のメンバーの多くが重複していた。いや、むしろ朝連の中に日本共産党があり、一体化して活動をしていたと言った方がいいかもしれない。

「左翼的運動は、その半分を朝鮮人によって担われていた」

 日本共産党史に記述はないが、「日本共産党1世」と呼ばれる幹部たち――志賀義雄、寺尾五郎、山辺健太郎、亀山幸三、岩田英一などは、いずれも朝鮮人との連帯を書き残している。例えば寺尾五郎はこう書く。

「戦前の日本では、それが党であれ、労働組合であれ、また反帝・反戦の運動や文化運動であれ、すべて左翼的運動は、その半分を朝鮮人によって担われていたようである。戦前の日本の左翼団体なるものは、幹部だけを別にして、本当の中堅活動家や下積みの働き手などは実は半分ちかく朝鮮人だったのではないかと思われる。とげのある言い方をすれば、左翼運動までが朝鮮人を踏み台にして成り立っていたような一面もあるのである」(寺尾五郎「一九四五年十月に出獄して」「季刊三千里」15号)

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