「在日本朝鮮人連盟」誕生の歴史 共産主義者が反共民族派の幹部を拘束・監禁

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「在日本朝鮮人連盟」内には、設立準備段階から活動資金の使途を巡り激しい対立があった。そして両国公会堂で開かれた団体結成式典の2日目、ついにクーデターが起きる。共産主義者らが、反共民族派の主だった人物を拘束・監禁、激しい暴力を加えたのである。

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 金斗鎔をはじめとする朝鮮人共産主義者たちは、「在日本朝鮮人連盟結成中央準備委員会」に集い、朝鮮民族同士手を取り合って一大組織を作ろうとした。だが集まった顔ぶれの多くは、愛国的な在留朝鮮人組織の中枢にいた人物だった。

 新しく誕生するこの巨大な組織が彼らに牛耳られた場合、かつて朝鮮人の統制に使われた相愛会や協和会、興生会、一心会のような日本政府御用機関になる可能性がある。朝連を「革命組織」にするには、日本政府と縁がある人間、すなわち、革命の思想に反対する人間を組織から徹底的に排除する必要がある――金斗鎔はこう考えた。

 だが組織を作るには、準備委員会の右派リーダーたち、在留朝鮮人主流派の協力も不可欠だった。なぜなら、革命を成し遂げるには彼らの資金が必要だったのだ。

 相愛会や興生会などの親睦団体は、日本政府と密接な関係を持ちながら運営されていた。その背景には、政府からの多額の資金投入があった。

 むろん朝鮮人の多くはそれを好ましいと思ってはいない。だから新しい組織を作る上で、親日団体の幹部が中枢に座ることは、戦前からの体制が続いているような印象を与え、終戦を機に敗戦国民とは一線を画したいという朝鮮人の心情を逆なでしたことは否めない。

警察の機嫌をうかがいながら活動

 朝連結成時の72人の中央委員の一人であり、日本共産党の組織再建に関わった張錠壽には、準備委員会がこう見えていた。

「はじめは元協和会の指導員や相愛会の流れをくんだ反民族行為を犯した人たちもいっしょに入っていた。ところが、この人たちが自分の過ちを反省せずに勢力を握ろうとして、あまりにでしゃばりすぎていた。自分たちが中心となって、自分たちが指導をするのだ、ということをやりだすと同時に、日本の警察とつながって機嫌をうかがいながら運動をしていた」(張錠壽『在日六〇年・自立と抵抗』社会評論社)

 金斗鎔たちは思想犯として投獄された朝鮮人同胞を解放することを目標に、「政治犯釈放運動促進連盟」を結成したが、当然ながら政治犯は朝鮮人より日本人共産党員が中心だった。金たちはこの運動を通して獄中の日共幹部と深く連帯し、日本共産党の再建を通して革命を成就させようと考えていた。

 戦時中に転向した朝鮮人の共産主義者は、特に日共の再建に熱心だった。

「金斗鎔をはじめとする朝連準備委の共産主義者たちは日本共産党に入党し、その再建のために政治犯釈放運動促進連盟を組織したと思われる。彼らは戦時中に転向した者たちなので、その罪責を免れるために日本共産党の再建にもっとも積極的であったようである」(権逸『権逸回顧録』)

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