ひで子さんが語る“戦前の袴田家”巖さんはどんな弟だったのか【袴田事件と世界一の姉】
NHKが「飯塚事件」の長編ドキュメント
さて、日本では「誤審による冤罪で死刑が執行された人はいない(少なくとも戦後においては)」とされてきたが、それは本当だろうか。
4月23日(土)夜、NHKのBS1が2時間半に及ぶドキュメント『正義の行方~飯塚事件 30年後の迷宮~』を放映した。1992年2月、麻生太郎元首相の地盤、福岡県飯塚市の小学校で1年生の女児2人が行方不明になり、甘木市(現・朝倉市)の峠で他殺体となって見つかる。遺体には性的暴行の跡があった。2年後に殺人容疑などで逮捕された久間三千年(みちとし)元死刑囚は容疑を否認したが、2006年に最高裁で死刑が確定。2008年に絞首刑が執行され、70歳の生涯を閉じた。絞首の直前まで無実を訴えていたという。執行は判決確定から2年という異例の早さだった。
番組の主役は、この事件や裁判を詳細に連載している西日本新聞社の元記者たち。逮捕前に、容疑者は久間元死刑囚という情報をスクープしていた。元記者は「判決が確定して安堵した」と語る一方で、捜査や裁判に疑問を持っていた。
最大の疑問はDNA鑑定である。足利事件の菅家利和さんに対する間違った鑑定が行われたのがちょうどその頃。飯塚事件は同じ技官が同じ方法で鑑定していた。菅家さんは技術が高まってからの再鑑定で無実が証明された。ところが、飯塚事件においては現在、再鑑定のための試料が残されていないという。警察庁科学警察研究所の技官が退職した際に捨てたという説明だ。再鑑定すればあっという間に結果が出るから、それをさせないための嘘なのか。「公務員にあるまじき」と批判する押田茂實氏(法医学者・日本大学名誉教授)は、「おそらく(そういった事情が)あるのでしょう」と推測していた。根拠はないが筆者も同感だ。
一方、久間元死刑囚の再審請求が間に合わないうちに死刑が執行されたことに、弁護士たちは罪悪感を持っていた。番組では顔は伏せられた久間元死刑囚の妻がインタビューに応じ、警察の説明内容と実際の様子が食い違っていたことを証言していた。年数が経ったせいか、彼女が淡々と当時を振り返る様子が印象的だった。
西日本新聞の元編集局長は「警察も正義。弁護士も正義」と話した。捜査を担当した福岡県警の元捜査一課長や特捜班長らのインタビューからは、彼らが無実と感じながら強引に証拠を捏造したという印象は薄い。「久間三千年が真犯人に間違いない」との信念、社会正義で仕事を遂行したのだろう。有罪の有力証拠は大きく4つあるとされた。とはいえ、元捜査一課長もひとつひとつの証拠がぜい弱であることは認めている。
死刑執行の翌年に起こされた第一次再審請求は、昨年4月、最高裁で却下された。たった6枚の文面で「犯人(筆者注:真犯人のこと)と事件本人(同:久間元死刑囚)の鑑定が一致したことを除いたその余の情況事実を総合的した場合であっても事件本人が犯人であることに合理的疑いを越えた高度な立証がされており……」とした。逮捕や有罪判決の最大の論拠だったDNA鑑定が危ういことは裁判官も認めている。大きな柱が崩れても「総合的に判断して」などのレトリックで押し切る判決文を時折見かけるが、これもそうなのか。
昨年7月、妻や弁護団は第二次再審請求を申し立てた。「死後再審」を目指す戦いは続く。
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