ひで子さんが語る“戦前の袴田家”巖さんはどんな弟だったのか【袴田事件と世界一の姉】

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 解決遠のくロシアのウクライナ侵攻、26人が乗っていた知床の遊覧船の大事故……これらのニュースの合間を縫って、先日NHKが「死刑執行された男は真犯人だったのか」をテーマに長編ドキュメントを放映した。一方、コロナ感染に用心して、しばらく人前に出なかった袴田ひで子さん(89)は久々に集会に登場し、弟の近況を報告した。1966年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で「こがね味噌」の専務一家4人を殺人した犯人とされ、現在、再審を求める弟の巖さん(86)は、最近「俺は東大を首席で卒業した」と話しているとか。連載『袴田事件と世界一の姉』の15回目。(粟野仁雄/ジャーナリスト)

死刑執行後、「無実」と判明

 誤審による冤罪で死刑を執行された人は果たしているのだろうか。

 米国では有名な事例がある。1920年にマサチューセッツ州の靴工場で起きた強盗殺人事件の冤罪で死刑が執行されてしまった「サッコ・バンゼッティ事件」だ。靴工場の従業員だったニコラ・サッコと魚の行商人だったバルトロメオ・バンゼッティの2人が、イタリア移民でアナーキストだったことへの偏見や差別が、冤罪を生み出したことに影響したと言われる。公正な裁判を求めたドイツの物理学者アルベルト・アインシュタイン、フランスの作家アナトール・フランス、ロマン・ロランなど著名人による救出運動も高まり、欧米で大規模な抗議デモも起きた。しかし同州の最高裁判所は再審を認めず、1927年8月、2人は電気椅子に送られた。

 時を経て1971年には『死刑台のメロディ』という仏・伊合作映画の題材になる。『ドナドナ』で知られる反戦フォーク歌手ジョーン・バエズが歌った主題歌『勝利への讃歌(Here’s to You)』が当時、よくラジオで流れていたのを覚えている。1977年、マサチューセッツ州知事が「無実だった」と公表し、2人は同州で名誉回復されているが、司法当局は現在も誤審を認めていないという。

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