日本共産党の“裏歴史” 戦後結集した「朝鮮人組織」と共産主義者
「革命組織」
表面上は着々と進んだように見えるが、この間に権逸ら民族派と金斗鎔ら共産主義者たちとの対立は始まっていた。
金斗鎔は、日本共産党の中央機関誌である「前衛」創刊号(1946年2月)に次のように記している。
「少なくとも八月十五日直後に於て大同団結のスローガンの下に出発した当時に於ては、朝連の内部に於ても、その中央幹部の中にも、協和会・興生会・一心会等々の民族反逆者や戦争犯罪人等がその多数を占め、その比重も大きく、従つて日本の政府に対する大衆的な要求も、単に交渉の域を脱することができなかつた。彼等は朝鮮を相変らず過去の興生会のごとき、反動的日本政府の御用機関たらしめようと策謀してゐた」
共産主義者らは、この組織を自らの支配下に置いて「革命組織」とするべく動き出した。
(敬称略)
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