アイドルルックスなのに“60センチのすごい太もも”が話題に 19歳の競輪選手「河内桜雪」が語る悩みと夢
「足がつった」挫折経験
昭和期に一度立ち上がるも、その後廃止されていた女性競輪。2012年に「ガールズケイリン」として復活し、現在は全国でおよそ180人の選手がいる。河内さんが競輪選手を目指そうと思ったのは小学6年生の頃だった。それまで新体操に取り組んでいたが、地元の前橋競輪場で見たガールズケイリンのスピードと観客の歓声に心を奪われ、すぐに両親に競輪選手になりたいと伝えた。河内さんの父は一時、競輪選手になろうと目指していたが断念。河内さんの決断は父の夢にもつながった。
父は自宅に自転車のトレーニングルームを作るなど、娘の夢を後押しした。河内さんもそれにこたえるように「自転車の機材自体が高く、親にもいっぱいお金を出してもらっていたので、自分のものは自分で買いたい」とトレーニング用具は、高校時代にケーキ店でのアルバイトで稼いだお金で購入したという。
前橋工業高校時代は、自転車競技部に所属。男性部員の中、ただ一人の女性選手として練習を重ねた。朝晩のきつい練習を乗り越えた河内さんだったが、高校時代は心が折れそうになることもあった。
「高校2年生の関東大会では足がつってしまい、インターハイに出られませんでした。3年生ではコロナ禍でインターハイ自体が中止になってしまって。練習しても練習してもどうにもならない。どこに気持ちをぶつけたらいいんだろうとなりました」
こうした挫折を経て、女子の合格率は4割と言われる日本競輪選手養成所に入学した。河内さんは養成所について、練習以外も厳しかったと語る。
「入学直後の2週間はコロナの隔離期間で誰とも話せなかったんです。部屋も一人、何をするのも一人で『何で入学しちゃったのかな』とちょっと後悔しました。一番つらかったのはコロナ対策で卒業するまでの10か月間、学校の外に出られなかったことです。スマホが使えるのは日曜日の2時間だけなんです。2時間以内に全部やる感じで、そこは本当にきつかったです」
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