「審判をしばきあげろ!」 暴徒千人が球場になだれ込んだプロ野球伝説の判定トラブル

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 プロ野球千葉ロッテマリーンズの佐々木朗希投手と白井一行球審との間のトラブルが関心を集めている。4月24日の対オリックス戦に先発した佐々木投手が、球審の判定に不満げな様子を見せたところ、白井球審がマウンドに向かって行き、詰め寄ろうとした――というのが事の概要だ。

「佐々木投手は単に不満げな表情をした程度で、それに対して球審から向かって行くとは大人気ない」

「そもそも判定がおかしい」

 等々、世間では審判側に厳しい意見が目立つ。そもそも佐々木投手が判定に不満げな様子を見せたということ自体、球審の思い込みではないかという見方もある。

 一方で、メジャーリーグ、サンディエゴ・パドレスのダルビッシュ有投手は審判に同情的な言葉をツイートしている。

「野球の審判って無茶苦茶難しいのに叩かれることはあっても褒められることはほとんどないよなぁ。選手も散々態度出すんだから審判にも態度出させてあげてください」(4月25日)

 真剣勝負の場だけに、審判と選手、監督との間ではこれまでにも数多くのトラブルがあった。今回の場合は、球場内に一瞬不穏な空気が流れかけ、その後は主にメディア上での「論戦」が繰り広げられているわけだが、かつては判定を巡って、「実戦」さながら、審判が命の危険を感じるような事件が起きたこともあったのだ。

「このままじゃ殺されるぞ」と審判がおびえた大事件を『審判は見た!』(織田淳太郎・著)から抜粋してみよう(以下は同書を再編集したものです。引用は関係者のコメントも含めてすべて同書より)。

 ***

トリプルプレーかノーアウト満塁か

 問題が起きたのは昭和39年(1964年)、広島市民球場での広島―阪神戦。内野のジャッジに当たったのは、球審・稲田茂、一塁塁審・筒井修、二塁塁審・柏木敏夫、三塁塁審・井筒研一だった。

 試合は両チーム無得点で2回裏の広島の攻撃。ノーアウト一、二塁の場面で事件は起きた。

 広島の打者、阿南準郎が送りバントを試みると、小飛球がマウンドの前にフラフラと上がった。打球は猛ダッシュしてきた石川緑投手のグラブにダイレクトに収まったかのように見えたが――、

「フェア!」

 稲田球審がコールした。つまり直接捕球ではなく、ショートバウンド捕球と見なしたジャッジだ。二塁塁審の柏木氏はこう振り返る。

「ここで石川が『何がフェアだ! ノーバウンドですよ!』と抗議したんですわ。文句いう前に二塁か一塁にでも放っておけば、一つでも二つでもアウトとれてたのに、『こんなバカな判定あるか!』なんて怒鳴ってるんだからね。打者走者の阿南は一塁に向かっているし、他のランナーも次の塁へ走っている。で、石川も二塁へボールを放って、それが一塁に転送された。ダイレクト捕球の主張が通れば、トリプルプレーですわ。主張が通らなければ、ノーアウト満塁でしょう。こりゃ、大変な違いですわ」

 要するに最初のジャッジ通り「ショートバウンド捕球」ならばノーアウト満塁からゲーム再開。

 仮にジャッジが覆り「ノーバウンド捕球」ならば3アウト、チェンジということになる。

 当然、守る阪神側は後者を求めて来る。藤本定義監督が血相を変えて抗議に飛び出してきた。

優柔不断な球審

 もちろん基本的にジャッジは覆らないものだ。だから稲田球審が抗議をはねのければそれで終わっていた。ところが、稲田球審は塁審を集めて意見を聞いた。そのうち一塁塁審だけがこう言った。

「あれは、どう見てもダイレクトキャッチです。訂正したほうがいいでしょう」

 これを聞いた稲田球審は、

「……そうか」と呟くように言って「それじゃ、判定を変えるか」と言い出した。

「変えちゃ、あきませんよ!」

 柏木が反対した。どうジャッジしようが片方のチームは承知しない。それなら最初のジャッジで押し通すべきだ、と主張したのだ。

 ところがこれが逆に球審のプライドを刺激した。

「お前は黙っとけ!」

 そう言い残すと、稲田球審は攻撃側、広島ベンチに向かって判定を変える旨を伝えた。そして「トリプルプレーでチェンジにする」と。

 当然、これに広島の白石勝巳監督は激怒。球審に対して、阪神側に「ノーアウトフルベースでゲームを再開する」と伝えるよう求める。

 ここで稲田球審の気持ちが再び揺れてしまう。彼は本当に阪神ベンチに向かい、藤本監督に歩み寄ってこう言った。

「白石さんが頑として言うこと聞かんのだよ」

 もちろんこれを阪神が受け入れるはずもない。

 守備に就いていた阪神ナインはベンチに引き上げた。スリーアウトなら当然だ。

 試合は中断され、膠着状態が2時間ほど続く。球場内の控室で、両チームの監督、審判、広島の球団代表を交えて話し合いが持たれたが、結論は出ない。

「そのうち、どしゃぶりの雨が降って、試合続行不可能になったことにして処理しようということになった。まるで裏取り引きですよ。野球にこんなことがあってはいけないと思った。こりゃ、ただじゃ済まんぞと背中がゾクッとしましたわ」(柏木氏)

千名の暴徒が

 中断から2時間29分後、稲田球審がホームプレートに立つと、ノーゲームを宣告した。ここでファンが動く。

 一塁側スタンドから広島のファンの大群が、グラウンドへと押し寄せた。その数約千名。

 彼らは放送席を占拠し、記者席を叩き壊し、バックネットを激しく揺さぶった。

 阪神ナインが逃げ惑った。警備員が必死の警護に当たった。

 しかし、彼らの標的は審判団だった。

「審判をしばきあげろ!」

 身の危険を感じた審判6人は、急ぎバックネット裏の小部屋に身を潜めた。

 暴徒と化した広島ファンの殺気立った怒声が、薄いドアの向こうに聞こえた。

「そっちはどうじゃ!?」

「ここにはおらんぞ!」

「クソッ!」

「審判はどこじゃ!? 見つけたら、ただじゃ済まさんぞ!」

 そのままでは見つかるのも時間の問題だ。ここで柏木のアイディアで、審判全員が服と靴を脱ぐことにした。ステテコなど下着姿で外に出て、暴徒と同化して逃げることにしたのだ。こうして車を呼び、何とか球場からの生還を審判団は果たしたのである。

 ちなみに、この時に限らず、当時の広島ファンは、「恐ろしいもんやった」と柏木氏は同書でこう振り返っている。

「いつだったか、試合前に観音球場のトイレで用を足していると、脇のところがどうもチクチクする。何事かと思って見ると、脇にナイフが突きつけられているんです。広島のファンでね。『今日の試合、広島を負けさせると、お前ら生かして帰さんぞ!』と、こうですわ」

 ***

 この時代のことを思えば、昨今の審判とチームとのトラブルなんて可愛いもの、ともいえるが、必死でプレーしているのは昔も今も同じ。野球本来の面白さとは無縁の不毛な諍いは無いに越したことはないだろう。

デイリー新潮編集部

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